組織と貧者の狭間でーー『フランチェスコと呼んでーーみんなの法王』感想

イタリア映画祭で『フランチェスコと呼んで――みんなの法王』をみてきました。

特にイタリア映画に興味もなく、カトリック教徒でもない自分がこの映画を見に行ったかといったら、単に教皇フランシスコのファンなんです。もっとも、大して調べたりもしていないので、ミーハーなのですけど。

アルゼンチン出身の教皇フランシスコは清貧を重んじ、貧しい人に寄り添うことを常に忘れていない教皇なので、大変尊敬しています。

そんな教皇フランシスコ(ベルゴリオ枢機卿)のアルゼンチン時代を主に描いた作品です。

イエズス会への道に進路を決めたベルゴリオをインテリ階級の大学の友達が歓迎しないところからこの物語は始まります。ラテンアメリカみたいなカトリックへの信仰が強い国だと、もっと歓迎されるのかと思っていました。

アルゼンチンはカリスマだったペロン大統領がいなくなったあとの軍事政権、軍部が教会への圧力をかけ始める時代に突入してきます。
管区長になっていったベルゴリオは、軍部が圧力をかけてきた結果、貧者に寄り添う(=反政府組織に近しい)司祭を何人も失っていきます。

この映画で描かいているベルゴリオは貧者に寄り添っている人でもありつつも、あくまでも組織の中にとどまっている人です。ベルゴリオは軍部にその司祭たちが影響を受けていたであろう「解放の神学」への立場を聞かれた際に、解放の神学への理解は示しました。けれども、ベルゴリオはバチカンには認められていない解放の神学に自らは飛び込んで行こうとはしない。
本来ならば、貧者に寄り添っているはずの司祭が軍部に拉致され、彼らを助けることが出来ない。拉致された彼らが解放されたあと手助けをしようにも、尼僧に彼らの居場所を教えてもらえないのは、そうしたベルゴリオへの抵抗感からでしょう。

軍政時代のベルゴリオの軍政との戦いは、弱者に寄り添いつつも、限界があった。控えめに見ても、軍政との戦いは引き分け、どころか若干負けであったと言えるでしょう。

ベルゴリオはその後もカトリック教会の中にとどまりつつ、司教補佐になったあとの物語が描かれます。

司教補佐となったあともブエノスアイレスの街を歩き、貧民と寄り添っていたベルゴリオ。軍事政権という目に見える巨悪はなくなり(フォークランド戦争の敗戦ですね、この間にあったのは)、スラム街の再開発計画を進める行政とスラム街から立ち退きを求められる住民たちの対立が描かれます。

ベルゴリオは、国と対立したくない司教を直接説得し、自ら市との交渉役を名乗り出ます。再開発計画は行政よりも上の要請・投資家との戦いとなってくるわけです。彼は再開発計画の場に司教をつれだし、その場をみた司教は貧しき者へ、強制執行を行っていた警察官へ、祝福を行います。結果、再開発計画はまた見直しとなりました(このシーンめっちゃ泣ける)。

ベルゴリオは軍政との戦いの際に、組織に残った人間でした。その結果、救うことのできなかった人もいたことでしょう。しかし、再開発計画との戦いは信仰と組織を用いることで勝ちました。
管区長を辞し、田舎司祭をやっていた際に、司教補佐への就任の依頼を受け、受諾した理由に「多くの人を救うため」と述べています。
また、軍部が神学校を捜索した際に、「組織の人間だから悪く思わないでくれ。あなたも組織の人間だからわかるだろう」と述べる軍人に対し「私は私の良心に従う」と述べます。

彼は組織に残りつつも、貧者と良心に寄り添い、組織を動かして彼らを救っていったベルゴリオ。
そして、カトリックという旧弊な組織の頂点にまで辿りつきました。

就任後の活躍はご存知の通りですが、彼は即位後、生前退位したベネディクト一六世への敬意と連帯を度々表明しています。ベネディクト一六世は保守派で知られた教皇で、一見正反対のような見えますが、教皇フランシスコはベネディクト一六世への敬意を忘れていない。そのことは、劇中では事なかれ主義で描かれていた司教への敬意を常に持ち続けていたことと被ります。

もちろん、映画は映画なので、かなりバイアスの入った人物像ではあるでしょう。また、劇中では全く描かれていませんが、フランシスコは同性婚に反対したりと、保守的な側面も持っている人ではあります。

組織を出て貧民と寄り添った人も聖職者もきっといるでしょう(たぶん)。だけれども、組織の中で組織を少しずつ良くして行く人も必要です。

こんなことを言うのも大変僭越ですが、教皇フランシスコがその地位を使って、世界を少しでも良きものに、貧者に寄り添った社会にしていくのを、改めて期待せざるを得ません。

キリスト教事情やアルゼンチン事情には全然詳しくないので、間違えたこと書いてたら許してにゃん)