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家族と死と共同体と――映画『海街diary』感想

一ヶ月ほど前に、アメリカから帰る飛行機の中で『海街diary』を見ました。
見た理由は単純。大韓航空機内に入ってる日本の映画がこれしかなかったんです(もちろん日本語吹き替え版のハリウッド映画はそこそこあるから、それほど見るものには困らない)。

是枝監督作品、過去に見たことあるのが、『空気人形』ぐらいで、空気人形の感想は正直「メタファーあざといなー」って感じで、全然いい印象なかったんですよね。日本を代表する監督にめっちゃ失礼な話ですけど。

で、この『海街diary』そんなわけで全く期待せずに見たんですけど、めっちゃ素晴らしかった!

というわけで、相当遅い感想を書いてみようかな、とおもって書いたのがこれです。日本を代表する女優4人(めっちゃ豪華!)を使っている映画に何を今更って感じですが……。ちなみに、原作は全く読んでません。

冒頭のあらすじとしては、鎌倉に住んでいる三姉妹のもとにだいぶ前に別れた父親が死んだという一報が届きます。
と言っても、両親はとっくに離婚して離れ離れになっており(三姉妹は3人だけで住んでいる)、三姉妹の方にはそれほどの深刻さはありません。そして、三姉妹は会ったことのない妹すず(広瀬すず)と出会います。
亡くなった父を看取った妹すずと、継母も含めた周囲のすずに対する扱いをみた長女・幸(綾瀬はるか)は、すずに一緒に暮らさない?と持ちかけ、すずが「行きます」と答え、鎌倉で四人の生活が始まるところから物語が始まります。

と、冒頭のあらすじを書くと、めっちゃ重い空気の映画に思えますが、全体的にはそうした空気ではないんですよね。
すずはしっかりしている描写をされていることもあって、特段のイニシエーションもなく(強いて言うなら自家製梅酒を飲まされるところですかね)、三姉妹の家に馴染んでいるし、すずも両親がいないことをサラッと学校の友達に言ったりするので、そういう「両親の喪失」といった類の悲しさを持っている映画ではないです(三姉妹の母親は別のところに生きてはいるものの、どちらかというと四人の生活を乱すものして描かれている)。

というよりも、この映画のすごいところは、冒頭では葬式、中盤では法事、終盤ではまた葬式ととにかく喪服ずくめの映画ではあるのですが、不思議とそれが直接的な悲しさというか、死をクライマックスとしない雰囲気を持っている映画です。

すずが鎌倉に来て、大したイニシエーションもなく地元の少年サッカーチームに入ります。
さっきも言いましたけど、両親のいない恵まれてない子だから、イジメに遭うとか過酷なイニシエーションを通らないと仲間として認めて貰えないとか、陰口を叩かれるとか、そういうのは本当にない映画です。物語としては、そうした逆境をつけたほうが濃淡が出ると思うのですが、決してそういう安易な道を選ばない。結構、なんとなくふわっと共同体に溶け込んでいくですね、すずは。この描き方は本当にすごいと思います。

そのサッカーチームかつ三姉妹の御用達のお店が「海猫食堂」になります。海の街である地域とガッチリ結びついた地域共同体の象徴のようなお店ですね。これだけ、複雑な家庭だと白い目で見られたりとかしそうですけど、この奇妙な四姉妹を地域共同体は受け入れています(逆に三姉妹の親戚のほうが拒否反応を示すことが多い)。

もちろん、しっかりとしているすずには鬱憤が溜まっている(特に継母に対して)描写や父親絡みでここにいていいのだろうかと悩むシーンはちょこちょこあるんですが、家族や共同体から排除しようとかいう描写はほぼありません。
そういった波風立ちそうなところも主に親戚絡みであるのですが、結局ふわっと家族と地域共同体に包まれていくというか。そうした雰囲気を持っている映画です。

(以下ネタバレあります。ネタバレされても価値が毀損するような映画ではないと思いますが、結構これが告げられるシーンはインパクトあります)

ある日、地銀の銀行員である佳乃(長澤まさみ)は「海猫食堂」のおばちゃん・さち子から海猫食堂を巡る財政状況を知ります。海街diaryのすごいところに、家族と地域共同体と同時に仕事が日常の中で隣接しているのもすごいですよね。決して、仕事が家族の暮らす日常から隔絶されていない。

仕事と四人の家族生活以外にも、四人の恋愛模様は並行して描かれています。恋愛とか仕事とか家族とかそうしたものが、全部「海街」というなかで完結している。「海街」という共同体に包まれているといった感じですね。

でも、その四人の恋愛模様の中で唯一「海街」から隔絶されているものとして描かれているのが、幸の恋人の医者ですね。四姉妹の家が古典的な日本家屋だったり、他の姉妹の恋人は地元の商店で働いていたりちょっと前の日本をイメージさせるところにいるなか、幸の恋人だけは現代的なマンションに暮らしています(しかも幸とは不倫関係)。

終盤、幸の恋人は離婚して渡米するので、一緒に来て欲しいと持ちかけます。海街の空気に程遠いアメリカという遠い世界を持ち込んでくる存在なわけです。幸は最終的には恋人より四姉妹を選ぶわけですが、「家族」を選んだという側面の他に街を選んだという側面もあると思います。

物語の終盤、海猫食堂のさち子はガンで亡くなり、看護師である幸が看取り、葬式で4姉妹が参列している描写になります。ここも仕事と日常と共同体が奇妙にクロスしている仕掛けになっているんですね。泣ける。

最後、物語は浜辺を歩いてる四姉妹の会話の会話は、四姉妹は当たり前に家族なんだ、と思わさせられます。重要なのは何かをきっかけにとかではなく、かなり前から家族になってるんですよね。
もちろん、さち子が亡くなったことは悲しいのだけれども、決して暗いだけでは終わらない。

この作品のいいところは、「死」と「家族」と「共同体」が自然な距離で隣接してるところなんですね。
そこに仕事もあり恋愛もあり、でも、日常は続いていくという終わり方をしています。冒頭にも述べましたが死が決してクライマックスにならない、という稀有な作り方をしています。

作中、鎌倉はあまり高い建物がないので、全体的に青っぽい映像が多いのですが、「死」も「家族」も「海街」が全体を包み込むような雰囲気になっている、そんな素敵な映画でした。