固有の人生を描くということーー『この世界の片隅に』感想

話題の映画『この世界の片隅に』をそこそこ前に観てたんですけど、昨日人と話してちょっと書きたいことがまとまったので、メモ書き程度に。

こうの史代の原作は知っていたもの未読、片渕監督も以前『マイマイ新子と千年の魔法』を観たことある程度。

太平洋戦争の色が濃くなるなか、広島から軍港の街・呉に嫁入りしたすずが主人公。広島と呉なんて電車で30分ぐらいで行けるんじゃないの?ぐらいのイメージでしたが、戦争が進むにつれ段々その距離が(汽車の切符・便数の関係で)遠くなっていくのが印象的でした。そうした物理的な時間距離なだけでなく、すず本人の心の距離も広島から呉に移っていたというのもあるのでしょう。

等速でない時間の辛さ

この映画は、昭和一桁(すずの子ども時代、正確には忘れました)からはじまって、昭和21年ぐらい?に終わるんですけど、作中で印象的なのはマンガのように日付が右上に出るくること。自分としてはこの日付がとても印象にのこりました。

戦争が進むに連れ少しずつ物資がなくなっていくこと、昭和20年には入ると呉も含めて本土空襲が激しくなること、そして8月6日に広島に原爆が落ちることも後世の自分達は知っている。呉は軍港ゆえに当然激しい空爆があったところです。
姪を失い、右手を失い、同級生を失い、少しずつすずさんは追い込まれていく辛さ。昭和20年6月に機銃掃射を受けてドブに逃げて「イヤや」を連呼するすずさんをみて、視聴者はあと2ヶ月でその戦争が終わることは知っている。しかし、本人たちはそれを知る余地はない。

人生がそうであるように、作中内の時間も等速ではないので、とにかく昭和20年が過ぎるのが長い。あと少しで戦争は終わるのに、と歴史を知っている僕たちは思ってしまうのだけれども、なかなか昭和20年8月15日にたどりついてくれない。このエントリの冒頭で日付が印象に残っている、と言ったのはこの等速でない時間の象徴として、なかなか8月15日にたどりついてくれない残酷な日付が印象に残っていたのです。作中でもタンポポや蝶々など季節のものが描かれていて、この季節感も時間とリンクしてすごく丁寧に描かれていました。
でも、8月15日にたどり着くためには、8月6日を超えなければならない辛さ。これは視聴者が作中人物よりも情報を知っているからこそ、すずさんとは別の意味で視聴者も追い込まれていく気がして、本当に作中で観ているのが何度も辛くなりました。

反戦映画でない?

この世界の片隅に」はすずさんの人生ないしは生活を描いている、とよく称されています。また、既存の反戦映画へのアンチテーゼとして語られることも多かった印象はあります。
この世界の片隅に」は反戦映画である/ないで語るのは不毛さしか感じないのですが(こういった言説のもとになるのは終戦の日のすずさんの発言だと思うのですが)、戦争作品にありがちな作中に後世からの代弁者がいないという点は丁寧に描かれているなと思います。

戦争モノは山中恒による少年Hへの批判に代表されるような後世からの代弁者を出してしまいがちですが、それを排除しているがゆえに「生活」を描いているといった言説に繋がっていったのかな、と(強いて言えば、モダンガールのお姉さんがちょっとそういった立場に近い存在でしょうか)。
ただ、戦争の悲惨さを描いてないかというと全くそんなこともないわけで(前段で述べた通り、戦争ですずさんはかなり追い込まれていってる)、反戦である/反戦でない、とか括ることの方が違和感あります。

すずさんの固有の人生

エンターテイメントでは作中登場人物に感情移入させるのが良い作品、のように語られますが、先程述べた通り本作は後世からの代弁者もいないし、歴史を知っている自分たちはすずさんに感情移入もできない。視聴者とすずさんの人生には決定的な乖離があるわけです。でも、その乖離あるからこそ、固有の「すずさんの人生」を描くいうことになっていくのではないでしょうか。