社会批評性と実存――ミシェル・ウェルベック『服従』感想

去年から話題になってた作品・ウェルベック『服従』をようやく読みました。

服従

話題になっていたのはウェルベックが日本で(海外文学としては)人気がある作家ということもあるのでしょうが、やはりホットなフランス政治を舞台としたセンセーショナルさでしょう。実際、帯にも「シャルリ―・エブドのテロ当日に発売された近未来思考実験小説」という煽り文とともに、内田樹とか高橋源一郎とか東浩紀とかの様々な知識人の絶賛コメントが並んでいます。その上に、解説が佐藤優。どんな政治小説かと身構えてしまうのも無理もない煽り方です。実際、読むまで「ウェルベックも政治にかぶれてしまったのかー」とか思ってました。イギリスのロックバンドとフランスの知識人はキャリア中盤以降、政治にコミットしたがるし(勝手な印象)。

政治的にはフランス大統領選挙で極右「国民戦線」とイスラム穏健主義政党が決選投票に残り、既存政党がイスラム穏健主義政党と連立し、イスラム穏健主義政党が大統領選に圧勝。イスラム教徒が大統領になり、次第にイスラム化(高等教育の縮小、一夫多妻制、女性の社会進出の減少……)が進められる、という内容がインテリの主人公によって圧倒的なディテールを持って描かれています。
余談ですが、日本で民主主義を捨てるか、日本文化を捨てるか、と言われたら、前者を多くの人は選択しそうなので、このストーリーが成立するリアリティをもたらすものとして、逆にフランスの「民主主義」への信頼の強度を感じます(ウェルベックは意図してないのだろうけど)。

ただ、ウェルベックなので、そんな単純な政治小説ではありません。主人公はフランス文学(ユイスマンス)を教えている大学教授。冒頭から、男性の性的魅力が女性に比べれば歳をとっても緩やかにしか下降しないことを利用して(しかもそれを自覚しながら)、女子大生を抱きまくっています。

ウェルベック作品の男性主人公が性欲の強さを持て余しているのが多いなかで、今回の主人公は比較的性愛も社会的地位も恵まれています。

語り手である主人公は冷酷な目で変わりゆく社会を観察してますが、政治的混乱に対して、基本的にデタッチメントです。村上春樹が年齢を重ねるにつれ、コミットメントに変化していったのと対照的なぐらいに。ただ、政治的混乱でユダヤ人のセフレを失います(国民戦線がかつてユダヤ人排斥を訴えたため、イスラエルに移住してしまった)。これが主人公の選択に影響を与えます。

イスラム主義政党が政権をとったあと、主人公は一旦大学から退職する。しかしながら、イスラム教徒の新学長から説得され、再び教壇に戻ります。学長が執筆したイスラム教について解説した本を貰うのですが、「大半の男がするように」一夫多妻制のページをすぐに開くという描写は面白いですね。

そして、物語は下記のような記述で終わります。
「何ヶ月か後、講義が再開され、ヴェールを被った、可愛く内気な女子学生たちが登校してくる。(中略)女子学生たちは皆が、どんなに可愛い子も、ぼくに選ばれるのを幸福で誇りに思うに違いないし、ぼくと床を共にして光栄に思うだろう。(中略)ぼくは何も後悔しないだろう」

ウェルベックは『素粒子』では、性的コンプレックスを抱えた兄をSF的展開で救いをもたらそうとしました。本作でそのSF要素の役割を果すのが、イスラームの一夫多妻制になっているという最高の皮肉で物語は終わります。しかも、皮肉なことにこれまでのウェルベックの小説のなかでは一番現実的で、一番救われている。
一見、政治小説に見せかけつつも、その政治の問題が実存と関わってくる巧みさが本作の魅力でしょう。もちろん社会批評性をもったものとして読むことも可能だけれども、それはガジェットにしかすぎない。ウェルベックのデビュー作『闘争領域の拡大』では、恋愛市場を現実の市場のアナロジーとして描きましたが(それゆえの階級闘争のメタファー)、社会批評的な要素を実存の問題を落としこむことに関しては、本当に巧みな人です。

よくよく考えれば、この主人公は旧体制でも、男性と女性の年齢に対する非対称性とか教養とかを使って女子大生を抱いていたわけで、実際のところ何も変わってない(ここで重要なのはウェルベック作品に出てくる男性の大半は、そこそこ教養のある女と寝られればそれでいいのであって、その女性は交換可能な存在である)。
作中でイスラム主義の新学長が「大学教授は複数妻をもつに相応しい職です」(イスラムでは複数の妻を持つためにはある程度の経済力が必要とされているため)と述べているけれども、実は主人公が教養と地位で女子大生と寝ていたことを制度的に肯定しただけとも言えなくもない。ここでも、主人公の実存と政治状況が合致してくる巧みさが映えます。

政治をディテールをもって描きながらも、そこに一片の愛も信頼もない。主人公はイスラム教徒に改宗するのだけど、イスラム教徒の新学長が語るID説にも興味が無いことでしょう。さらに言えば、ウェルベックは交換不可能な愛なんて信じていない。ウェルベックはそうした余計なものを取っ払った向こうにある実存を冷酷な目で抉りだし、描き出す。

ウェルベックは、次は何を抉りだすのか。そして、これよりも現実的な救済をウェルベックはいつか描き出せるのか。次回作が楽しみです。