「のぼる小寺さん」とアイドルと映画

「のぼる小寺さん」は不思議な青春映画だ。

ボルダリングという今時なスポーツを題材とした元女性アイドルと若手の男性俳優が主演する漫画原作の映画……と聞くと「あーはいはい。いわゆるアイドル映画ね」となってしまう人も少なくないだろう。
私も映画館で予告編を仮に見たとしても、「へー吉田玲子って実写の脚本もやるのか」以外の感慨を覚えないだろうし、映画が終わったあとには題名すら覚えてないと思う。だけれども、私にはこの映画を見に行かないとならない理由があった。その主演する元女性アイドルが元モーニング娘。工藤遥だからだ。

工藤遥さんについては多くの言葉はいらないだろう。モーニング娘。に2011年に加入。人気を博し中心メンバーとして今後を期待されていた2017年にモーニング娘。を卒業。卒業後はテレ朝戦隊シリーズ「ルパンレンジャーvsパトレンジャー」の早見初美花役など女優として活躍している。モーニング娘。時代からの工藤遥のファンとして、初主演映画を観に行かないわけにはいかない。そういうわけで、公開翌日の映画館に足を運んだ。


不思議な小寺さん

「のぼる小寺さん」は壁を登り続ける小寺さんの物語だ。それと同時に小寺さんをめぐる周りの物語だ。というより、後者の重きが大きい。
小寺さんは常に壁を登り続けている。それ以外で小寺さんが自発的に何かをしているのは旧園芸部の庭の手入れをしているときと黙々とラーメンを食べているシーンぐらいではないだろうか。「のぼる小寺さん」はのぼる小寺さんが変わっていくというよりも、のぼる小寺さんを見る人たちが変わっていく話なのだ。

原作を読んだとき、壁を登り続けている小寺さんは正直言えばよくわからないキャラだった。映画の作中でも噂好きなクラスメイトに「小寺さんって不思議ちゃんだよね」と囁かれている。
会話のリアクションなどワンテンポ遅く、球技が苦手という描写もされている。心理描写もほぼ描かれることもなく、黙々と壁を登っている印象が強い女の子だ。
分かりやすい「成長」「仲間」「恋愛」も小寺さんについてはそれほど積極的には描かれない(もちろん作中でこれらの要素も描かれてるが、不器用で表立って描かれることは多くはない)。不思議な青春映画だった、という印象はここからくるのだと思う。

トークなども軽妙に返す明るい女子としてのイメージが強い工藤さんが何故この不思議な女の子の役を射止めたのだろう、とやや不思議に思ったのは覚えている。しかし、観終わったとき、小寺さんを演じるのは工藤さん以外にいないという確信に変わった。

小寺さんを観るカメラ

話は変わるが、例えばボルダリングをテーマとした青春映画を作るとなったら終盤の盛り上がるシーンにどういった演出を持ってくるだろうか。
大会の最後の最後で挫折しそうになった主人公の内面描写をまずは入れる。そして、苦しそうな表情になっているクライマーの表情を上から撮影するだろう。自分なら予算がないと言われても、無理にドローン撮影をお願いする。
そして、心が折れかけているクライマーに、応援している観客の声が届く。それによって発奮したクライマーは、仲間たちへの感謝の思いとともに最後の壁を乗り越える……世間の人の95%はそうしたシナリオを予想するはずだ。

ところが、「のぼる小寺さん」にそうした描写はない。映像はのぼる小寺さんを常に下から撮っている。これは終盤の大きな盛り上がりとして描かれているクライミング大会の最後のクライミングでも、作中で印象的なエピソードとして描かれている学校でのクライミングでもそうだ。
別にクレーンやドローン撮影をするお金がなかったわけではないだろう。そのカメラの目線は常にのぼる小寺さんを見る人たちの目とともにあることに意味がある。

壁を登り続ける小寺さん

壁を登り続けている小寺さんには力がある。ひたむきに壁を登り続ける姿は人を魅了する。
カメラが趣味の文化系の女の子・田崎さんは小寺さんを撮り続けることで写真撮影の世界で新たな一歩も踏み出す。学校をさぼりがちだった倉田さんは放課後にネイル教室に通い始める。何となく楽そうな運動部という理由で卓球部に入った近藤くんは卓球をひたむきに頑張り続ける。
そう、小寺さんは(物理的な)壁を登り続けていることで、周りの人を(比喩的な)壁に上らせるのだ。「のぼる小寺さん」はのぼる小寺さんの物語でもありながら、「のぼる小寺さん」を観る人達の物語でもあると述べた理由はここにある。カメラがのぼる小寺さんを観る人達と同じ目線で小寺さんを捉えていた理由も。ひたむきに登り続けることは人を動かす力がある。

そして、小寺さんと小寺さんを観る人たちの関係は、アイドルとアイドルを観る人たちに似ているな、と思った。

ハロプロハロプロのファン

工藤遥さんが所属していたモーニング娘。ハロプロの一グループだ。ハロプロハロプロのファンたちはパフォーマンスを重視する。そのことに時々疑問を覚えることはある。今のアイドルの歌やダンスをちゃんと見ている世間の人なんてどれぐらいいるのだろう。アイドルを卒業した後に商業ベースで歌を続けられる人が何人いるだろう。彼女たちの芸能人としてのステップアップに一糸乱れぬフォーメーションダンスなんてものが何の意味があるのだろう。ラジオ番組で明石家さんまトークすることの方が2000人しか入らないホールで喉を潰しながらコンサートをすることより意味があるのではないか。

しかし、モーニング娘。在籍中の工藤さんがそうであった通り、ハロプロのメンバーは何かことあるごとにパフォーマンスの向上を語る。あの曲でもっと大人っぽい表情を魅せられるようになりたい、しなやかなダンスを踊れるようになりたい、力強い高音を出せるようになりたい……メンバーはひたむきに努力しパフォーマンスを向上させていき、ファンはそれを喜ぶ。それがハロプロのメンバーとファンの関係だ。

小寺さんと工藤遥

歌やダンスのスキルが向上したところで、握手会の時間が伸びるわけでもなくファンにとって何か利益が出るわけではない。もっと言えば、誰かの利益になるわけでもない。だけれども、メンバーが努力し高いパフォーマンスを見せることで、ファンも生きる気力をもらう。まさに目の前の壁を登ることに意味があり、そしてそのことが周りの人たちにとって希望になっていく。

そう考えると、本作のちょっと変わった主人公・小寺さんを元アイドル・工藤遥が務めた理由が見えてくる。まさに目の前の壁を登り続けることで、周りに人たちを動かし続けてきた人だからだ。

その意味においてまさしく「のぼる小寺さん」は正しくまっとうなアイドル映画ともいえる。そう、アイドルが演じることに意味がある映画こそアイドル映画だ。

進路指導調査票に「クライマー」と書き、先生にもっと現実的な進路を書くべきだと諭されたとき、小寺さんは「嘘を書くんですか?」とまっすぐ見つめ返した。
先生からすればもっと役に立つ進路を書いて欲しかったのだろう。
だけれども、一見なんの役にも立たず何の利益をもたらさないものでも、ひたむきに頑張り続けること自体に意味があり、そしてその努力に周りを動かす力がある。
そのことを改めて教えてくれる青春映画だった。