こぶしファクトリーはどこで間違えてしまったか────順調なデビューから無観客ラストライブまで

こぶしファクトリーは5年で幕を閉じた

2016年に発売された3rdシングルに収録されている「サンバ!こぶしジャネイロ」でこぶしファクトリーはこう歌っている。

「将来のニッポンのヒーロー どこで何しているだろう?
 みんな他人事じゃねぇよ 4年後はTOKYO」

当時在籍していたメンバー・藤井梨央とブラジルのサンバにひっかけたこの曲はリオデジャネイロオリンピックに合わせて発売され(特にコラボとかではない)、2020年東京オリンピックを控え再度披露される機会も増えていた。

しかし、こぶしファクトリーは2020年3月に解散することを発表。東京オリンピックを迎えることなく、こぶしファクトリーは幕を降ろすこととなってしまった。

このニュースを聞いたときに、「どこで間違えてしまったのだろう」と思ってしまった。

2010年代にデビューしたハロプロの正規グループは、スマイレージ/アンジュルムも、Juice=Juiceも紆余曲折がありながらも、毎年武道館クラスの会場で公演を行うグループに成長したし、今も続いている。その系譜のグループにいずれこぶしファクトリーもなっていくだろう、という甘い期待をハロプロファンの誰しもが持っていたと思う。

しかし、現実はコロナ禍の影響で3月30日にTDCホールでの無観客解散ライブを行い、こぶしファクトリーのたった5年の歴史に幕を下ろした。

もちろん、5年という歳月は10代の少女たちにとってとても長いものである。とはいえ、ハロプロにはBerryz工房℃-uteといった10年以上続いたグループもある。Berryz工房のスピリッツを受け継いだという建前が名前の由来になっている「こぶしファクトリー」もそういった歴史を紡いでくれるのではないか、という淡い希望もあった。卒業メンバーはいるかもしれないけど、5年で幕を閉じるグループになるとは誰も思っていなかっただろう。

なんでこうなってしまったのか。

どうしてもそう思ってしまうのだった。

順調なデビューを飾ったこぶしファクトリー

2014年末、モーニング娘。を引っ張っていた道重さゆみが卒業し、長年ハロプロのプロデューサーを務めていたつんく♂がプロデューサーから降りることが発表された。
そうした「ポストつんく♂」時代を見据えて、ハロプロ研修生の8人で結成を発表されたのが「こぶしファクトリー」だった。新ユニット結成・デビューが発表された際の浜浦彩乃の涙は多くの人に印象を残したことだろう。

とはいえ、2015年新春、ハロプロのオタクたちは忙しかった。Berryz工房はラストを控え、℃-ute矢島舞美モーニング娘。以外のメンバーでは初めてとなるハロプロリーダーに就任。道重さゆみが卒業し、新メンバーを迎えたモーニング娘。'15は若いメンバーが引っ張っていたし、スマイレージから名前を変えたアンジュルムは「大器晩成」でヒットを飛ばしていた。そして何より、嗣永桃子Berryz工房活動終了後に移籍する予定となっていた新グループ「カントリー・ガールズ」は「うたちゃんフィーバー」でオタクたちの話題をさらっていた。

そんなハロプロ全体がお祭り騒ぎの中、まだグループ名すら決まっておらず、長く研修生に在籍した浜浦彩乃の名前をとって「浜ちゃんズ」とオタクに言われていた「ハロプロ新ユニット」(のちの「こぶしファクトリー」)はやや埋没気味だった。とはいえ、こぶしファクトリーが頭角を現してくるまではあっという間だった。2月に「こぶしファクトリー」という奇妙な名前と初のオリジナル楽曲「念には念」をもらうと、名前の通り「こぶし」の効いた歌い方とノリのいい楽曲でハロプロ各グループのオープニングアクトで話題をさらった。

あれよあれよ、という間にメジャーデビューが決定。9月には「ドスコイ!ケンキョにダイタン」でメジャーデビューを果たす。両面A面シングルの「ラーメン大好き小泉さんの唄」はシャ乱Qのカバーであると同時に近年のハロプロでは珍しくドラマタイアップが決定。年末にはハロプロではスマイレージ以来となる日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞し、順風満帆なデビューイヤーを送った。
2016年もその勢いは続き、KANの曲のカバー、ヒャダインによる楽曲提供といった新たな展開を見せた2ndシングルではオリコンウィークリーチャート1位を獲得。冒頭の「サンバ!こぶしジャネイロ」というちょっとふざけた楽曲はそんなイケイケの頃の楽曲だ。「かわいい」を武器にしたカントリー・ガールズに対して、「こぶしの効いた歌」「なんか面白い」「力強い」を売りにしたこの頃のこぶしファクトリーの集大成が2016年11月に発売された1stアルバム「辛夷其ノ壱」だろう。アルバムの最後に収録された「辛夷の花」という楽曲はMVも作られ、今までのアイドル楽曲にはあまりなかったフォークソングのような曲は大きな話題となった。グループ名ともつながるこの曲はいまでも代表曲としてあげられることも多い。


こぶしファクトリー『辛夷の花』(Magnolia Factory[The Kobushi Magnolia Flower]) (MV)

挫折、そして

上記の通り、こぶしファクトリーは順調なデビューを飾った。その象徴が2017年初頭に公開された映画「JKニンジャガール」であろう。公開規模は小さく、やや内輪感はあるものの、ハロプロのグループが主演する映画が作られるのはここ数年なかったことであり、事務所のこぶしファクトリーへの期待の入れ方が伝わる映画だった。

他のハロプログループと同じように、そろそろ単独ホールコンサート、そして武道館公演への道が見え始めた2017年、こぶしファクトリーに試練が襲った。

その内容は詳しくは書かない。2017年は新曲はシングル1枚しか出せず、年の初めには8人いたメンバーは年末には5人しかいなかったことで十分伝わるだろう。辞めた3人も前向きな辞め方とはいえず、三者三様なスキャンダラスな辞め方だった。順調なハロプロの若手グループだったこぶしファクトリーは挫折した。

アイドルは上り調子で「成長するイメージ」が大事だ。何なら、それで商売していると言っても過言ではない。AKBはメンバーが総選挙で順位が上がり、外部の芸能事務所と契約をつかむシーンをショーにした。ももクロは大規模な会場をいきなり与えることで、試練をファンと共に乗り越えることでファンと共に成長する一体感を作っていった。元を正せばハロプロの全ての始まりであるASAYANだって、素人がメジャーデビューを勝ち取るまでにフォーカスした番組だ。

そういうイメージが何よりも大事なアイドルにとって、8人中3人がスキャンダラスに辞めることは致命的だ。人気が落ちるということは、成長するイメージを描けないということにもなる。
実際、5人になることが決定した後、口が悪いオタクたちはすぐに「改名か」「新メンバーか」と噂した。デビューからの勢いは完全に失速し、ホールコンサート、武道館への夢ははるか遠くなったかに思えた。2018年5月につばきファクトリー中野サンプラザで合同ホールコンサートを行なったが、もしかしたらそれも2017年の出来事がなければ、単独コンサートだったかもしれない。側から見ると、こぶしファクトリーは低迷期を迎えていた。

自分たちの実力で再び立つということ

2018年の春、熱心なこぶしファクトリーのファンでなかった自分はひなフェスというハロプロ全体のコンサートでこぶしファクトリーを見かけてびっくりした。5人となり人数が減ったこぶしファクトリーは、自分が知っているこぶしファクトリーより何倍も歌に厚みが増していたのだ。

広瀬彩海井上玲音が抜群の歌唱力を持っていることは以前から知っていたが、驚いたのは他のメンバーの歌の成長だ。エースの浜浦彩乃は低音の力強いながらも、伸びやかな綺麗な歌声を出せるようになっていた。野村みな美はこぶしの中では高い音で歌えるようになっていたし、以前の子供っぽいビジュアルから大きく大人の女性に成長し、今までよりも何倍も表現できる幅が広がっていた。

そして、何よりの驚きは和田桜子だった。こぶしファクトリーのメンバーの中で一際体格が大きい彼女は、デビュー当初は大人しく、目立った歌唱パートもなく、大きな体を縮こめて端っこに立っているイメージが強かった。それ以前にも独特のキャラクターがうけて研修生時代につんくから賞を貰っている程度でそれほど目立つメンバーではなかった。
しかし、久々に見た和田桜子は大人っぽい声を操る魅力的なメンバーに成長していた。また、今までの自信なさそうな部分も経験を積んで自信がついたのか、はっちゃけた面白いトークも増えていった。
解散間際のアルバム曲で、和田桜子が歌い出しと落ちサビを務めた「アンラッキーの事情」が大きく評価されたのも当然だろう。
こぶしファクトリーはいつの間にか5人とも歌える魅力的なグループになっていたのだ。

とはいえ、前述した通り、イメージが大事なアイドル業界。そして、ハロプロには歌の上手いアイドルなんて他にも大勢いる。なかなか上昇のきっかけを掴めなかったこぶしファクトリーが始めたのがアカペラだった。

最初は井上玲音がボイスパーカッションを習うという謎の企画から始まったこのアカペラ企画は、想像以上に話題を呼んだ。そして、メンバーが減って危機的なグループというイメージから、歌がうまいグループというイメージに変わっていった。


こぶしファクトリー《アカペラ》念には念(念入りVer.)


このアカペラもこぶしのみんな歌えるという特性を生かしている。今までの楽曲でメインボールを務めてきた井上玲音がボイパを担当するため、メインボーカルを浜浦が担当するになる。アカペラはどうしても歌声が目立たなくなりがちだが、浜浦がパーカション組に負けない力強い歌声を歌えるようになったことによるところも大きいだろう。

特にLOVEマシーンのアカペラは屋外やショッピングモールで行われるリリースイベントでも披露され、そのキャッチーさと電子音の装飾の多さも再現したアカペラは多くの通行人の足を止めることに成功したはずだ


こぶしファクトリー《アカペラ&ボイスパーカッション》LOVEマシーン


こぶしファクトリーはアイドルグループのデビュー当初からの成長するイメージ戦略という面では失敗したが、彼女たちは実力で新たな未来を切り開いていったのだ。これがどれだけ大変なことはアイドルオタクなら分かるだろう。実力で人気を獲得するというアイドルとしては王道に見えて実は困難なことをこぶしファクトリーは成功させていったのだ。

実際、2019年には昨年できなかった単独の東阪でのホールツアー、このCDが売れない時代に2枚目のアルバム発売とこぶしファクトリーは再び上昇気流に乗り始めていた。

完成度の高さゆえの解散発表

ハロプロは近年、メンバーの加入・卒業が激しい。ファンとしては寂しい話ではあるが、10代後半で別の道を選ぶメンバーも増えている。その分、新メンバー加入も多い。
その中で、こぶしファクトリーはオリジナルメンバーから減っただけで、途中からのメンバー増員は最後までなかった。

5人になったこぶしファクトリーの結束は強くなっていた。もともと中心メンバーがハロプロ研修生の古参メンバーという仲良しグループという側面があったこぶしファクトリーだが、そのメンバーがいなくなったことにより、どこかドライになったようにも見えた。

だけれども、アカペラで5人それぞれに役割が出来たことに、パフォーマンスでの結束は今までよりも何倍も強くなっているように外からは見えた。
実際、解散の前からアカペラの完成度の高さから新メンバーの加入案に否定的なコメントをメンバーがすることがあった。それだけ本人たちも5人のチームワークに自信を持っていたのだろう。とはいえ、プライベートな面ではマイペースなメンバーが多いこぶしファクトリー。その5人たちをまとめているのがリーダーの広瀬彩海という印象だった。そして、そのことは今回の解散の遠因にもなったように思える。

2020年1月8日、こぶしファクトリーは3月30日TDCホールを持って解散することを発表した。解散の理由は色々と言われたが、解散発表の文章、本人たちがのちに語ったことから推測するとリーダー広瀬の音大進学(による脱退)をきっかけに、個々のメンバーが考えた上で判断したもののようだった。

井上玲音ハロプロに残る選択をしたが(後にJuice=Juiceへの移籍を発表)、エースである浜浦は今後も芸能活動を続けていく意思を示しつつも、ハロプロは卒業する意向を示した。その理由として、自分が残ると(新メンバーを入れて)こぶしファクトリーが続いていくからと語っていた。やや人見知りの浜浦にとって照れ隠しでもあったかもしれないが、5人の結束と完成度が強く、そのことへの拘りの強さが解散という結論に至った大きな理由の一つであっただろう。
こぶしファクトリーの武器であった結束の強さや完成度の高さが裏目に出た解散発表であった。でも、逆にいえば、本人たちが語るのを聞けば聞くほど、結論は悲しいけどあまりにも間違っていない、納得するしかない解散の理由だった。そう、こぶしファクトリーの5人はどこも間違えていなかったのだ。

無観客ライブでの解散へ

決まった以上、残り少ない期間を応援するしかない。しかし、そこでこぶしファクトリーの前に立ちはだかったのはコロナ禍だった。
解散までに予定されていたイベントも次々に中止に追い込まれた。とはいえ、他のハロプログループのイベントよりこぶしファクトリーのイベントの中止のお知らせは明らかに遅かった。事務所もなんとか実施しよう、という意思を感じたが、やはりコロナウイルスの流行には勝てず、ほぼ中止に追い込まれた。そして、最後まで発表が保留されていたラストライブもLVとCSでの中継のみの無観客ライブが決定した。

無観客ながらも、楽しくて最高で素晴らしい解散ライブだったことは書くまでもない。無観客であることを一番痛感しているのはがらんとした3000人収容のホールでコンサートしている本人たちであるだろうに、それを感じさせない熱いパフォーマンスだった。井上玲音が「今日のために買ったんですよ」って言いながらタブレットTwitterの反応を見始めたのも笑った(れいれいはアップフロントに経費回してほしい。年度末だから早めに)。そして、「おらは人気者」をカバーで歌っていたこぶしファクトリーは、いつの間にか「辛夷の花」をイメージした白いドレスが似合う女性たちになっていた。

とはいえ、そんな最高のライブでありつつもずっと無観客の非現実感はあった。誰もがそこに違和感を持っていつつも言及したら空気が崩れてしまう緊張感もあった。だけれども、最後に一番しっかりして常にまとめてきたリーダーの広瀬彩海が泣きながら「ここにこぶし組のみんながいないなんて意味わからないよ」と言った瞬間、その緊張感が消え、メンバーとファンの感情が一体となって、最後を迎えた。

最後の曲はシャララやれるはずさ。こぶしの転換点になった2017年の曲で、前向きな明るい曲であるでともに、泣きのサビに歌唱力が必要とされるソロパートが挿入されるこぶしファクトリーらしい曲だ。タイムリミットが来る前に行けるところまで行った5人の今後の人生に明るい人生が待っていることを願ってやまない。


【ハロ!ステ#335】こぶしファクトリー ライブ 2020 ~The Final Ring!~スペシャル MC:岡村ほまれ&西田汐里

墨田区の水害の情報発信が今一つだった話

台風19号、皆さまご無事だったでしょうか。

関東甲信越・東北の広い範囲に被害をもたらした今回の台風、幸い墨田区の我が家は集合住宅のベランダにある非常時に逃げる奴(なんていうんでしょうね)が破損した程度で大きな被害はありませんでした。

首都圏は台風の進路的にだいたい日本列島で横断してきて弱った台風が来ることが多かったので、大騒ぎするわりにはそこまで強い台風がくることはあまりなかったのですが、今年は二連続で海から直接殴り込んでくる台風がきたということで、首都圏の防災体制が問われる年になりました。

というわけで、今回の台風で墨田区の情報発信が今ひとつだった話です。

もちろん、区役所の方は休日に余裕のないなか対応して頂いたのだと思いますし、責める気持ちはありません。次回に改善してもらえば、ということで記憶も新しいうちに書いておきたいと思ったからです。


墨田区の立地

墨田区は東京の東側、西を隅田川、東を荒川に挟まれた低地に位置しており、非常に水害リスクは高い土地です。

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実際、区のハザードマップを見ても真っ赤にそまっており、隅田川沿いの自然堤防と思われるわずかな微高地を除けば、荒川が氾濫ないし決壊でもしようものなら、区全体が逃げ場がなくなるという状況です(ちなみに区役所はその隅田川沿いの微高地に頑丈な高い建物の中にあり、区のなかでいちばん安全と思われる)。

そのことは引っ越してきた頃から意識はしており、転入手続きのときにもらったハザードマップの真っ赤っぷりに苦笑いしながらも、意識の片隅には水害のことはありました。

ただ、その一方で荒川は完成してから一度も決壊してないこと、墨田区は大河川はあるが、中河川があまりないこと(旧中川はあるが現在は荒川で分断されている)、内水氾濫ではそこまで大きな被害はでないかな〜と甘く見ているところもありました。

実際、墨田区は荒川と隅田川にはさまれているわけですが、氾濫を起こしまくっていた隅田川の放水路として郊外に人工的に荒川放水路(現名称:荒川)が作られた経緯があり、いざとなったら隅田川は荒川との分岐点にある岩淵水門を仕切ることになっており隅田川が氾濫する可能性はほぼありません。

結局は多くの犠牲とお金と労力を注ぎ込んで作った荒川が持つかどうかが墨田区の運命を握っているわけです。


台風19号当日の情報発信


10月12日当日は徐々に風雨が強まるなか、時々スマホで情報をチェックしながら昼間はのんびりAmazonプライムで映画を観てました。

映画をみているとお昼過ぎぐらいにはスマホが不穏な音ともに緊急速報をお知らせしてきました。「えらく速いなー」と思って通知をみると、近隣区からでした。

15時を過ぎると他の近隣区や国土交通省からも続々緊急速報がなり始めました。墨田区からは何もこないなーと思ったので、墨田区のホームページをみると………すでに繋がらない!


マジかよーと思いながらTwitterアカウントを見ると、

 


HPは繋がらないからFacebookを見よとのお達しが13時48分にすでに出ています。

 

Facebookをみてみると……近年のFacebookのUIはホントに意味不明なので、よくわからない写真とかが最初に出てきます。肝心の最新の情報が一番上に載ってないんですよね、FacebookFacebookを災害時のお知らせに使おうという考えがどうも間違えてるとしか思えません。この時は投稿タブを押すことでとりあえず最新の情報を確認することができました。普段Facebookを使ってない人がここにたどり着くのは困難のように思えますし、この体制は見直してほしいと思います。


時はくだり、17時に自分が住む地区に避難勧告が出たようです(時刻はのちに知りました)。住所を見る限り、墨田区の北部(通称:向島地区)にはほぼ全域に出ているようでした。

勝手にスマホが拾っていた近隣区のエリアメールを見る限り、他の区より出たタイミングは遅かったですが、中川や綾瀬川がある近隣区とは単順に比較できないと思いますし、このタイミングに関しては特に疑問はありません。問題は伝達方法です。

我が家は鉄筋のアパートの3階かつアパートにはさらに上層階もあるということで、この段階になってからは特段逃げないことはすでに確認していたので、防災用品を準備した程度でしたが、このお知らせを自分が知ったのは18時にきたNHKの防災アプリからでした。

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確認すると相変わらず墨田区からは何のお知らせもありません。防災無線は何か喋っているようですが風雨が強くよく聞こえません。ようやく墨田区Twitterが更新されたのは18時41分になってからでした。

ちょっとこれはひどいです。17時と18時40分では外の明るさがまったく違います。17時では避難可能であっても、日没を迎えた18時40分では避難の危険性も高くなります。

自分はたまたまNHK防災アプリに現住所をいれ、プッシュ通知をオンにしていたので気づきましたが、それ以外の人はどうやって避難勧告を知れば良かったのでしょうか。

NHKテレビではもちろんお知らせをしていたでしょうが、全国的に避難勧告が発令されるなか、墨田区の情報が流れるのは一瞬でしょう。HPは落ちてる、Twitterは更新されない、Facebookは見方がわからない、という状況。いくらなんでも酷いです。この情報発信体制は早急に見直しが必要です。

 

原因と避難所の情報が不足している


さすがに区役所側もこの方式の問題点に気づいたようで、20時ぐらいからTwitterに画像を貼って避難所の情報をお知らせはじめました。

でも、ここでやや気になったのは避難所が開設されている小中学校の場所です

墨田区のような低地で浸水の可能性が高い場合、安全と思われがちな小学校・中学校でも被害が出る可能性があります。ですので、洪水の場合と雨水出水の場合で設置される避難所は違います。というより、洪水の際は使えない避難所があります。そのことは事前に配布されたハザードマップにも記載されています。

我が家の近所でも最寄りの小学校はうちより荒川に近く、標高も低いため洪水時には避難所に指定されないことになっています。移動も考えれば、自分もあの小学校に行くよりは我が家の方が安全度は高いと思います(とはいえ小学校も4階建てなので、いざという時は逃げられる体制にはなっていると思いますが)。

なので、洪水時にはやや遠い隅田川沿いの中学校が最寄りの避難所になる……と思っていました。

で、実際その中学校も避難所になったのですが、夕方になってその荒川に近い小学校も避難所に指定されました。


うーん、解せない


よくよく考えたら、他の区の緊急速報は「○○川の氾濫の可能性が高まったので、下記の地域に避難勧告を出します」という形式です。

ところが、墨田区の避難勧告が突然住所ともに出されただけで、何で出たのか全くわからないのです。

向島地区にだけ出された、荒川の水位を警戒するような国土交通省からの緊急速報が来ていたことから、てっきり荒川の氾濫を警戒してだと思っていたのですが、荒川の氾濫=洪水なのでその小学校では甚大な被害が出ることが想定されます。ということは、内水氾濫を懸念して避難勧告が出たのでしょうか。区内の高低差から考えてもがけ崩れなどはほぼありえないでしょうし。


結局終わってみてもなんで避難勧告が出たのかよく分からない状況です。

墨田区の命運は事前に書いたとおり荒川にかかっているのに、あらためてみると墨田区からの荒川に関するお知らせが少なすぎるんですよね。

低地ゆえ高所が少なく荒川の氾濫警戒してなのか、内水氾濫かでとるべき行動は大きく変わってくる可能性があります。避難勧告を出すだけではなく、原因も含めた正確な情報提供も合わせて行ってほしいと思います

 

映画『ジョーカー』が今一つ期待外れだった話(ネタバレあり)

映画『ジョーカー』を初日に観てきた。
初日に観たのはたまたまその日が休みで、「あー初日で観れるじゃん」ぐらい軽い気持ちだったのだけど、正直感想は微妙だった。

最大の理由は「ジョーカー」ってこんなに人間的だったっけ????

ということろに尽きる。

ダークナイト』のジョーカーはすごかった

自分はDCコミックスの熱心なファンでもなければ、バットマンシリーズの熱心なファンでもないので、熱心なファンからすれば、こういうジョーカーもありだよ!とかジョーカーというのはこういうものだよ、という意見が普通なのかもしれない。

だけれども、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』でバットマンに入門した自分からすると、どうしてもジョーカーに物足りないなさを感じてしまった。

もちろん、ヒース・レジャーとは違うけれども、ホアキン・フェニックスは素晴らしかったし、道化と狂気のジョーカーを見事に演じきっていたと思う。本当に素晴らしかった。期待外れの理由は脚本レベルの話である。

ダークナイト』は正義のヒーロー・バットマンと史上最大の悪役ジョーカーの戦いとよく要約されるが、それはちょっと違う。
秩序のバットマンと混沌のジョーカーと両者を併せ持つトゥーフェイスの三つ巴の戦いだ。だからこそ、最後のシーンでバットマントゥーフェイスを殺し、顔を正義の顔に戻すことが意味を持つのだ(1対2を2対1に戻す)。

そこで描かれるジョーカーは決して「人間的」ではない。ジョーカーは道化であり、混沌であり、不条理をゴッサムにもたらす存在だ。決して、トゥーフェイスのように人間と悪を併せ持つ役割を担っているわけではない。ジョーカーは徹底的に道化であったからこそ、ジョーカーであったし、その鮮やかさに我々は称賛を送ったのだ

ハンニバルのように、悪役はもともと普通の人間だったが、幼少期のトラウマによって悪に目覚める話は多くある。そうした心理主義的に悪を解体し、分析し、納得できるものにしたいというのは普遍的な欲求である。だけれども、その向こう側に圧倒的不条理というのも存在している。デヴィッド・フィンチャーの『セブン』のジョンや、コーエン兄弟の『ノーカントリー』の殺し屋のように、動機も不明、だけれども、悪といった不条理を描く方が実は何倍も難しい。人間、納得できないものを描くことの方が難しいのだ。
それに成功していたのが『ダークナイト』のジョーカーだったのだ。

映画『ジョーカー』の心理主義

さて、そのノーランのバットマン3部作に直接繋がる話では全くないが、全く意識せずにはいられないであろう映画『ジョーカー』はどうであったか。

映画『ジョーカー』はコメディアンになりたい1人の青年が主人公である。この青年はピエロの仕事をしており、母親と2人暮らしで当然のように貧乏だ。そして、脳の障害で突然笑い始める病気を持っている。

この青年は仕事仲間にもらった銃がきっかけで、ピエロを馘になる。ピエロ姿のまま 帰途についたさい、絡んできた酔っぱらいのエリートサラリーマンを地下鉄車内で銃殺してしまう。
社会的地位が高いエリートサラリーマンを射殺したことにより、鬱憤のたまっていた社会的弱者のなかでピエロが抵抗のシンボルになっていく。

その頃、母の過去の病歴、そして自身の妄想癖(この辺りの虚実入り混じる描写は見事だった)が相まり、狂気のジョーカーが誕生。テレビの前で人気司会者を射殺したことをきっかけに、街のピエロたちにスイッチを入り、ゴッサムは混沌に包まれていく……というストーリー。

ジョーカーの道化、狂気、そしてジョーカーの恐怖をもたらすあの特徴的な「笑い」の理由に丁寧に一つ一つ説明していってるのが映画『ジョーカー』という感じだ。もちろん、誕生譚としては理由を説明していくのは当然だし、誕生譚としては 当たりまえだ。

かつて、『ダークナイト』で描かれていたジョーカーの狂気は圧倒的だ。彼は圧倒的混沌であり、圧倒的狂気であり、圧倒的道化だ。そして、それは狂気や混沌を解体していく作業である誕生譚と相入れない。だからこそ、そこを心理主義に陥らずに狂気を描写するかを期待していたけだけど、映画『ジョーカー』はまあ普通の誕生譚だったなー、という印象。

精神疾患を持っていて(それが原因で人から敬遠される理由にもなる)、定期的収入をもたらしてくれる仕事をくびになって社会的に追い込まれて、家族(というか母)との関係もうまくいかず、ほかの人間関係もうまく行かない……となったら、追い込まれた何も失うもののもないただの人が人を殺しても、「追い込まれて失うものもないものなー」と納得してしまう。そこに圧倒的な不条理とか狂気とかはない。ただ普通の悪役だ。

いちばん醒めてしまったのがジョーカーのあの不気味な「笑い」を、脳の病気と説明してしまったことだ。「笑い」という行為は基本的にポジティブなものにも関わらず、圧倒的な恐怖にかえてしまうジョーカーの「笑い」。あれをもともと持っていた脳の疾患と片付けてすまっては誕生譚としても物足りなさを感じてしまう。

ジョーカーが人間的であることへの評価はTwitterの反応等をみても別れていて、「普通の人に潜む狂気」のように褒めている人もいれば、物足りなさを感じている人もいるようだ。個人的には「普通の人に潜む狂気」なんて描写はありふれているので、その先を目指して欲しかったな、というのが正直な感想だった。

でも、映画『ジョーカー』でよかったのは、狂気が街中に伝染していってカオスの中にジョーカーが立っていたこと。カオスを描くのは難しいけれども、「ピエロ」という道化をジョーカー自身が演じていたことによって、ゴッサムの街を狂気と道化と混沌が埋め尽くしている映像はなかなか目を引くものがあった。

とはいえ、これだけ冷笑主義が蔓延こっている現代社会で(日本だけ?)、社会的弱者が強いものに対して一致団結して決起するというのは想像するのは難しく、ピエロたちが警察を襲うシーンはどうしてもご都合主義な感じは 否めなかった。
もっと、社会的立場の上下の全てを混沌に叩き込んでいったら面白かったのに、という物足りなさも感じた(ブルースウェインの父がその混乱で殺されるわけだが、どうしても下位階層が一致して上に刃向かう一環のように見えてしまった)

とはいえ、ラストシーンは映画自体を虚実入り混じる混乱に叩き込んでいるので、どこまでベタに作っているのかはよくわからないのですが、どうしても物足りなさが個人的にはあった映画だった。とはいえ、勝手に期待して期待が裏切られただけなので、自分が悪いのですが、もっと突き抜けて欲しかったな、という感想でした。

「マネについて1時間語れる」アイドルが強くて自立した女性アイドルとして結実するまで────和田彩花とアンジュルム

2019年6月18日、スマイレージ/アンジュルムとして7度目の武道館公演は、和田彩花卒業スペシャルとして行われ、武道館中に広がる「あやちょ」コールに包まれながら幕を閉じた。

近年のハロプロ卒業コンサートでは、卒業メンバーが各メンバーの希望やメンバーカラーに合わせた特製のドレスを着て、アンコール明けに1曲ソロで披露するのが慣例になっている。


そこで和田彩花が選んだ衣装は白のシンプルなパンツドレス。選曲はインディーズデビュー曲の「ぁまのじゃく」。
女性アイドルの晴れ着として敢えてパンツスタイルを選ぶ「ぁまのじゃく」な選択は、「強くて」「凛とした大人の女性」と形容される和田彩花の今を象徴する衣装だった。

あっさり次の曲で動きやすい赤のジャケットスーツに着替えた和田彩花は、個性豊かな衣装に彩られた個性豊かなメンバーたちとともに「46億年LOVE」「友よ」を熱唱し、ハロプロとしてアンジュルムとしてのステージを終えた。

エドゥアール・マネについて1時間語れる」アイドル

和田彩花というアイドルを意識したのはいつだっただろう。

デビュー前後のスマイレージは、ももいろクローバー東京女子流と並んで次世代アイドルと注目されており、各メディアで大きくとりあげられていた。その際に見かけたのが最初なので、2010年前後だったと思う。

何かの番組で特技を聞かれた彼女は「エドゥアール・マネについて1時間語れる」と答えたことで、自分の中に強烈な印象を残したが、そのときは和田彩花という個人名すら覚えてなかったと思う。
インパクトは確かにあるが、微妙にツッコミづらいその特技は、特に話を広げられることもなく番組の中で流されていた。

この特技についてのちに和田彩花は、「当時のマネージャーさんに目立つことを書けと言われて書いた、恥ずかしい」と笑いながら語っていた記憶がある。

そんな(おそらく出まかせ半分で書いたであろう)「エドゥアール・マネについて1時間語れる」特技は、のちに「凛とした大人の女性アイドル」像へと結実していく。

ふわふわした不思議ちゃんから目を惹くアイドルへ

2013年、道重さゆみのカリスマ性に惹かれふらふらとハロプロ沼にたどり着いた自分は、ふたたびスマイレージ和田彩花と出会うことになる。

ハロプロを知っている人なら知っていると思うが、当時のスマイレージはのちにメンバーが認めるように、人気メンバーの離脱などもあり2010年当時の輝きはなく、まさに「どん底」であった。

オリコン連続1位記録、紅白出場も噂されるようになり破竹の勢いで復活の階段を駆け上っていたモーニング娘。を横目に、スマイレージはライブツアーもろくに組めない状態(2013年は関東近郊の小さなライブハウスを回るツアーしかなかった)。

その当時の和田の印象はしっかりしたリーダーというよりも「ふわふわした不思議ちゃん」だった。
言動に落ち着きがなく、その場の空気も読めないからトークも面白くない(そもそも場の空気を読む人は「エドゥアール・マネについて1時間語れる」なんてのを特技しない)。
当時の和田彩花は、「あやちょブラボー」とか「宇宙人ピコピコピコ~」とか謎の定番フレーズを色々持っていたが、それが不思議ちゃんっぷりに拍車をかけていた。
「かわいい」と形容されることはあれど、決して「格好いい」なんて評されることはなさそうな、ちょっと頼りなさげな女の子だった。

その自分の中での和田の見方が少し変わる出来事があった。

2013年11月、道重さゆみ率いるモーニング娘。は約10年ぶりに卒業コンサートでない日本武道館を行うこととなっていた。
そこに、オープニングアクトとして発表されたのがスマイレージとJuice=Juiceだった。

その当時、スマイレージ初期メンバーの和田彩花福田花音は、すでにモーニング娘。の主力となっていた9期10期11期メンバーより先輩の立ち位置になっていた。メジャーデビューしたばかりのJuice=Juiceはともかく、先輩格のメンバーがいるスマイレージに前座を担当させることは、オタクの間で物議をかもした。とはいえ、オタクの議論程度で決定が覆るわけもなく、スマイレージは武道館にモーニング娘。の前座として立つこととなった。

「ええか!?」を披露したスマイレージのなかでも、ひと際目立っていたが和田だった。当時のスマイレージ竹内朱莉田村芽実とパフォーマンスを売りにするメンバーが勢揃いしていたが、高いヒールを履いた長い手足と長い綺麗な黒髪をつかった和田のダンスは目を惹いた。「ええか!?」という横に動くコミカルなダンスをした曲だったから余計、目立ったのかもしれない。
理由はわからないけれども、単なる「不思議ちゃん」だった和田のイメージが変わり、「スマイレージも行ってみたいな」と一人のモーニング娘。ファンに思わせるには十分な魅力だった。彼女たちが武道館に後輩の前座として立った意味は十分あったのだと思う。

美術アイドルへ

2014年、スマイレージは全国をまわる怒涛のライブハウスツアーが始まった。そして、つんく♂さんから「ご褒美」ということで、とつぜん武道館公演を与えられた。後に715武道館と言われ、結果的にスマイレージとして最初で最後の武道館公演は満員の盛況で終わった。

2015年、スマイレージは新メンバー3人を加えアンジュルムと名前を改め、新曲「大器晩成」を武器に再デビューを果たした。幸い「大器晩成」は大きな話題を呼び、3年ぶりのホールツアー、5月11月と2回の武道館公演を成功させるなど、アンジュルムは上々のスタートをきった。

スマイレージからアンジュルムに変わる過程で、色んな思いがなかったかというと嘘になる。スマイレージティーンエージャーの心情を歌うかわいい楽曲が多かったのに対し、低音楽器が鳴り響く力強い楽曲のアンジュルム楽曲に戸惑いはあった。だけれども、力のある彼女たちが多くの人たちに正当に評価され、スマイレージ時代には立てなかったステージに次々と立っていく喜びに比べたら、些末な問題だった。

スマイレージ/アンジュルムが激変を迎えている頃、和田本人も大きく変わろうとしていた。何より大きいのは、美学美術史専攻のある大学に進学したことだろう。ハロプロメンバーの大学進学はBerryz工房嗣永桃子が大学の教職課程に進学したことで風穴をあけたが、美学美術史というそれだけで大学が特定されてしまうようなマニアックな専攻には驚嘆させられた。

PHP新書から「乙女の絵画案内」という絵画の入門書を出したり、各美術館に展覧会にコメントを出したりするようになったのもこの時期だ。また、このころから「仏像」や「浮世絵」といった東洋美術に言及することも増え、特に「仏像が好きなアイドル」ということで仕事が舞い込んでくることも増えていった。

10代の公言する「趣味」「好きなこと」なんて、正直言ってころころ変わるものだ。もちろん、10代のうちに色んな関心を持つことは悪いことではないし、大人になったときにまったく触れなくなっていても、それはそれでいい経験になるわけだしまったく問題はない。だけれども、和田の場合は「エドゥアール・マネについて1時間語れる」と夢見る15歳の頃に出まかせ半分に書いたであろう特技は、少しずつ正夢になろうと動き出していた。

主張する強いアイドルへ一歩を踏み出す

アンジュルムが「大器晩成」で好スタートをきった2015年1月、和田彩花はある発言で世間を少し騒がした。

事件の概要はこうだ。
お正月から1月上旬まで俗にハロコンと言われるハロプロ全体のコンサートを中野サンプラザで連日開催することが毎年慣例になっている。ちょうど、新成人だった和田は、ハロコンのせいで成人式を欠席せざるを得なくなり、何の特別な配慮をしてくれなかったことにブログで抗議したのだ。

文中に「笑」や絵文字を入れて印象を和らげてはいるものの、普段は天然で大人しいイメージの彼女が運営サイドを批判するかのような言葉を発することは異例だ。この「アイドルの主張」にネット上のファンからは以下のような同情の声が寄せられた。アンジュルム・和田彩花、成人式に出れずに「生涯、根に持ち続けます」と恨み節...ファンの間では「アイドルはどこまで人生を犠牲にすべきか?」と論争 (2015年1月13日) - エキサイトニュース

上記のメンズサイゾー(からエキサイトに転載された)記事は、当時の和田の世間的なイメージとこの出来事の反応をよく伝えている。

今の和田を「天然で大人しいイメージ」と形容する人は誰もいないだろう。ところが、当時の和田はそういうイメージで見られる事が多かった。
それまでもマネージャさんに叱責され「唐揚げを投げた」とかパンクなエピソードは少しあったものの、比較的「ふわふわしてるちょっと変な子」のイメージの和田から激しく事務所を批判する言葉が出てきたのは、確かに意外だったのを覚えている。

おそらくなのだけど、これは和田の内面が変化したということを意味しないのだと思う。
それまで「ちょっと変な子」と周りに思われていた和田の独特の内面が、言葉という実態をもって外を向き始めたのがこの辺りだったのではいかと思う。逆に言えば、和田の内面の強さに世間が気付きはじめた、とも言えるかもしれない。

話はやや変わるが、ハロプロメンバーをよくインタビューしているアイドルライターの南波一海が和田彩花を称してこういった趣旨のことを述べていた。

他のメンバーは、インタビューといっても会話だから、会話を適当に合わせたりすることもある。それは仕方ない。でも、デビュー当初から和田さんはそういう妥協が一切ない。気になったことがあると、聞き返してくる。なので、とても和田さんにインタビューするのはいい意味で緊張する。

ソースが見つからなかったため細かい表現はわからないが、たしかこのような趣旨のことを述べていた。和田が納得しないことに対して妥協しない強さをもっているのは、昔からだったのだと思う。それが10代のうちは「空気の読めない変な子」と周りに映っていたが、ファンにも少しずつその「強さ」が見え始めたのがこの成人式事件だったのかもしれない。

個性豊かなメンバーが花開く

2015年11月、和田彩花と同期メンバーでは唯一グループに残っていた福田花音アンジュルムを卒業した。それまでのスマイレージ/アンジュルムは名目上は和田がずっとリーダーではあったが、軽妙なトークを得意とする福田花音トークを回すことも多く、どうしても二人で共同リーダーを務めているような印象が強いグループではあった。

和田を除くと、スマイレージ結成当初からのメンバーがいなくなり、和田にとっても後輩ばかりになってしまうことを心配する声もあった。
結果から言えば、その心配は杞憂に終わった。

2016年5月、上國料萌衣というアンジュルムになってからの初めての新メンバーを加えたアンジュルムは、ミュージカル女優を目指す田村芽実を最高の武道館公演で送り出すことに成功した。
強い電子音と聞かせるBメロが特徴的な新曲「次々続々」、楽しさとかわいさを併せ持った初披露曲「カクゴして」、スマイレージ時代に演じたメタもののミュージカル楽曲「スマイルファンジー」、そして明るくメンバーを送り出す卒業ソング「友よ」と、アンジュルムになって一気に楽曲の幅が広がり、バラードが多めでしんみりとしがちな卒コンを明るく盛り上げた。

竹内朱莉田村芽実室田瑞希といったメンバーがパフォーマンスを引っ張っていたが、各メンバーがそれにしっかりついていき全体のレベルが上がっていった。この頃から和田は「今のアンジュルムに自信しかありません」と語ることが多くなっていたし、実際その言葉を証明するパフォーマンスだった。

また、その頃から、「個性」が強いアンジュルムと称されることが多くなっていった。もともと、各メンバーが強烈な「個」をもっていたグループではあったが、和田彩花はグループのためにそれらの個性を摘むことはしなかった。当然だろう。何故なら、彼女自身が自分の個性を大事にして、そしてそれを伸ばしていったのだから。

後輩の勝田里奈は後にブログで「私はアンジュじゃなきゃここまで続けることは100%無理でした」と述べている。
まさに勝田里奈こそが、その豊かな個性の象徴だろう。
2011年にスマイレージに加入した勝田のダンスは、ファンの間で徐々に「省エネダンス」と称されるようになった。省エネとはモノはいいようで、要するにダンスをサボっているという揶揄である。
これが他のグループであれば、何らかの指導が入るだろう。何せ近年のアイドルは「全力」が求められることが多い。
しかし、勝田本人がたびたびネタにするように、そのパフォーマンスを一つの個性としてアンジュルムは受け入れていった。

その後、ファッションに興味を示していた勝田は、アンジュルムの服装のプロデュースなどを手掛けるようになり、アンジュルムにアイドルらしからぬ個性的なファッションを着せることが増えていった。また、進路としては服飾の専門学校への道へ進んだ。自分の興味をダイレクトに進路に繋げるという点で和田と重なってみえる。

勝田の和田とどこか似た頑固さを考えれば、アンジュルムでなきゃここまで続けることは出来なかった、というのは勝田の素直な気持ちだろう。

その他にも、竹内朱莉は特技の書道の専攻のある大学を進学先に選んだし(また専攻だけで大学が特定されそう)、佐々木莉佳子はファッションモデルへの道を選ぶなど、アンジュルムの後輩メンバーは続々と個性を伸ばしていった。

17歳でアンジュルムを去ることとなった田村芽実だって、ミュージカル女優になりたいという夢を持ち続けられたのも、こういったアンジュルムの環境があったからだろう(実際に田村芽実は卒業後、いくつものミュージカルに出演している)。

2016年のツアータイトルは「九位一体」だったが、2017年のツアータイトルが「十人十色」になったのも頷ける。新メンバーが入り、人数が変わった以上に、各個人の個性が爆発するグループになりまさに「十人十色」とよぶのが相応しいグループに成長した。
気づいたときには、高いパフォーマンス力を持ちながら、お互いの個性を認めつつ、みんなが仲がいい。そんな理想的なグループにアンジュルムはなっていた。

現代アートフェミニズム、卒業発表

2017年春、和田は大学院進学を公表した。忙しいハロプロの正規メンバーで大学院に進学したメンバーは初めてだ。

人文系で院に進学するとどうしても就職等の不安がよぎる。ましてや、美術史だ。
和田の公言している専攻から考えても、上に行けば行くほど英語のみならずラテン語やフランス語の修得が要求されるだろう。

生半可でいける道ではない。人文系の学部しか卒業していない自分みたいな人間からすると、嫉妬と憧憬を覚える存在になっていった。

同時に、和田彩花は相変わらずハイペースで美術の展覧会の感想をブログに綴っていた。
その一方で、少しずつではあるが、19世紀の西洋絵画や日本の近世芸術が主流だった和田彩花の関心が現代アートにまで広がってきていた。

現代アートは一般的にマルセル・デュシャンの「泉」と名づけられた一個の便器から始まった、と説明されることが多い。
今まで既存の価値観(「アートの範囲」、「美術館に展示されることの意味」)を問い直すこの便器は大きな影響を与えたとされる。

その後の現代アートもそうした既存の価値観を問い直す効果を狙った作品が多く作られていった。そして、現代アートで度々問い直される既存の価値観の一つに「ジェンダー」がある。

もともと和田は大学1年生のころに書いた「乙女の絵画案内」の頃から、女性という視点にこだわった美術エッセイを度々書いていた。もちろん、専門的な美術論を書かせたら、大学教授とかに比べたら勝負にならないので、和田なりの特徴を生かそうとして女性という視点に注目したのだと思う。
また、大学院は研究者の卵であり、人文系の大学院にいる限り、「フェミニズム」や「ジェンダー論」といった重要な要素を学ばないわけがない。

別に和田が大学院や現代アートに触れたことで、フェミニズムに感化されたとか言いたいわけではない(もちろん影響をまったく受けないわけではないだろうが)。傍からみていると、和田には和田の考えが昔からあって、フェミニズム等に触れることによってそれを言語化して発信する武器を得たように見えた。

それに伴ってか、和田の近年の発言では既存の「女性アイドル」という形式に対する懐疑を述べることが増えていった。
また、内輪のイベントなどでもアイドルにありがちな「セクシー罰ゲーム」みたいなものに疑義を述べることも増えていった。
言わば、空気の読めないマジレスにも見えてしまうものだが、その場の司会の芸人はその度に臨機応変に対応したのを今までも何度もみてきた(上々軍団は素晴らしい)。和田の空気を読まない頑固さが和田の武器として、強さとして新しいアイドル像として花開き始めていた。

アンジュルムの未来を語ったブログには和田はこう書いている

女の子だからできないことがあるわけではないと近くで見守ってくれる人はいるだろうか、
頭にぼやっとあるもの | 和田彩花オフィシャルブログ「あや著」Powered by Ameba

あるいは女性アイドルを語ったインタビューでは和田はこうも述べている。

「アイドルの多くは受け身の存在ですよね。期待に応えていく様子が媚びているようにしか見えなかったり、キャラを演じることで内面を見せない人もいたり。でも私は、『あなた自身はどう思っているの?』って考えちゃうんです」
変わり続ける勇気:和田彩花インタビュー

どうしても、多くの場合、男性プロデューサーがプロデュースし、若くて美貌のいい女性がステージに立ち、男性ファンをメインの客層とする女性アイドルという興行形態は、フェミニズムと相性があまりよくない。おそらく、フェミニズムジェンダー論を学ぶ過程で、色々と和田にも思うことがあったのだと思う。

その一方で、前述の通り、和田は自分も後輩メンバーもアンジュルムでは自分を出せる空間を作っていった。そう考えると、卒業発表後も、アンジュルムというグループへの執着はたびたび語っていたのも当然であろう。
2018年4月の卒業発表のブログでも逡巡する心うちを覗かせながら、以下のように述べている。

30代になったとき1人でステージで歌って踊っていることが次の目標です。
様々な表現をやっていきたいです。そうなれるよう、20代を過ごそうと考えました。
そして、できればアイドルで居たいのです。
皆さまへ | 和田彩花オフィシャルブログ「あや著」Powered by Ameba

ハロプロのファンの間では、ハロプロ25歳定年説が囁かれていた。女性アイドルは若いうちしか出来ないもので、その後の人生を考えて25歳ぐらいで事務所から肩を叩かれる、という俗説だ。後に、和田はJuice=Juice宮崎由加の卒業が発表されたときに烈火のごとく、その噂に怒りを表明した。

女性が「若さ」を売りにステージに立つのではなく、30代になったときに表現者として、アイドルとしてステージに立っていたいから、ここでグループを卒業する。
和田は「私はアイドルの解釈の幅を広げるために、またステージに戻ってくることが次の夢」と卒コンの挨拶でも述べた。
もちろん、和田が30になったときに、どういった形でステージに立つのかはまったく見えない。
もしかしたら、何らかのインスタレーションとかコンテンポラリーダンスとかそんな形なのかもしれない。だけれども、どんな形であれアイドルの枠を広げてくれる見たことのないアイドルとして戻ってきてくれるのだろうと信じている。

和田が表現者として戻ってきた時、世の中が今よりも進んで、その和田が魅せる世界が広く理解・受容される世界になっていることを願ってやまない。

最強アンジュルム

2018年秋、アンジュルムパシフィコ横浜国立大ホールの昼夜2公演を成功させた。
パシフィコ横浜国立大ホールは5000人収容の大型のホールだが、約1万人収容できる武道館より実は集客が難しいと言われる。
理由は簡単で、武道館ほどのプレミア感がないため、ライトファンを集めづらいわりに広いのだ。
そのパシフィコ横浜国立大ホールを昼夜2公演を完売したという事実は、熱心なファンがそれだけいるということを証明している。

その熱心なファンのうち誇張でもなんでもなく半分は女性ファンだ。
もともと、スマイレージ時代から女性人気は低くはなかったが、アンジュルムになってからの女性ファンの増加は目を見張るものがあった。
女性アイドルの客層はどうしても、男性ファンがメインというイメージはあるが、先日行われた和田彩花卒業コンサートは体感では客の5割は女性だったと思う。自分の席のまわりに限って言えば、前後左右女性だった。実際、武道館では男子トイレのうちいくつかを女性トイレに転用していた。

そうした女性ファンの代表が先日結婚報道で話題になった蒼井優だろう。
蒼井優はバラエティー番組に出た際、アンジュルムどういうところが好きかと問われ「最強なところ」と答えた

この回答はファンの間でウケにウケた。当然であろう。和田彩花のもと各人の個性が爆発し、力強いパフォーマンスを見せていたアンジュルムが最強なことは、ファンの間では自明であったのだから。

アイドルグループが次々と作られていった2010年代、差異化を狙い「戦闘服」や「メタル」といった今まで女性アイドルのイメージとかけ離れたコンセプトを持ったアイドルグループが誕生していった。
スマイレージだって「日本一スカートの短いアイドルグループ」というキャッチコピーを武器にかわいい衣装のミニスカで踊る正統派アイドルグループとしてデビューしたコンセプチュアルなグループだ。

ここで重要なのは、アンジュルムのこの強さは外部からコンセプトという形で与えられたものではないことだ。アンジュルムの強さは外発的なものではなく、メンバー自身による内発的なものに由来するものなのだ。
天使の涙」という意味を持つアンジュルムに改名したときも、グループ名の意味の通り「強い」なんて言われるコンセプトがあったわけではない。
アンジュルムとしてのデビューシングルである「大器晩成/乙女の逆襲」は両A面シングルである。確かに「大器晩成」はアップテンポでロック調の力強い楽曲だが、「乙女の逆襲」はゴシック調のユニークな楽曲だ。別に強いグループを演出しようという意図があったわけではないだろう。
だけれども、その時のアンジュルムのメンバーには「大器晩成」という力強い楽曲がピタリとはまったのだ。

その後も、こびへつらうことない姿勢や各人が個性豊かにライブで魅せる圧倒的なパフォーマンスを称して、いつ頃からか「強い」「最強」と言われるようになったのだ。コンセプトとして登場した概念ではないから、いつ頃とちゃんと名指しすることは出来ない。それぐらい自然に「強さ」が生まれていったのだ。
まさにメンバー個々人の持っているパワーをそのままアウトプットすることによって、「強い」グループが生まれる。そして、もちろんその中心には和田がいた。

そのパワーをアウトプットすることで強さにつなげることを体現した後輩の一人が2019年現在高1の笠原桃奈だろう。

普段からトークでもパフォーマンスでも若さを生かしたエネルギッシュさを前面に出している笠原は和田卒業後のブログでこう述べている。

もう和田さんにいちいち言葉をかけてもらうことはできないから、これからは自信を持って、なにかに怯えて何もできなくなることはしません
好きな色のリップを塗って生きていきます!笑
和田彩花さん 笠原桃奈 | アンジュルム メンバー オフィシャルブログ Powered by Ameba

「好きな色のリップ」という選択は大人から見れば小さいものでも、今の笠原には大きな一歩なのだろう。
普段から暴れまくっている笠原がさらに自信をもって自分をアピールし始めたら、どうなるか想像もつかない。だけれども、それすらも肯定するのが和田でありアンジュルムだったのだ。
自分の好きなものを使って前に進みだした笠原の今後に期待したい。

アイドルの限界のその先へ

蒼井優と菊池亜希子が共同編集を務めたアーティストブックアンジュルムック」は「少女を消費しない」をテーマにし、話題になった。蒼井と菊池によるテーマも、本人たちの思いはもちろんだが、今の和田とアンジュルムを見ているからこそ出てきたのだと思う。

そして、2019年6月18日、和田彩花はメンバーとファンに惜しまれながら、涙と笑いを残してアンジュルムを去っていった。そして、卒業コンサートの和田に対して「女性として、強くてカッコいい」「自立した大人の女性」と多くの人が称賛をよせた。
和田彩花は卒業のあいさつで下記のように語った。

明日からグループではなく、和田彩花として生きますね。

だから明日からは自分が何を守って、何を愛して、どんな夢を持ってそれをどう叶えていくのかっていうことを、今一度考え直して自分の中で向き合っていきたいなと思ってます。

こういった活動があったからこそ本当にいろんなことに気づけたし、向き合う中で、アイドル、そして女性のあり方についても今一度見つめ直していきたいなと思います。

これまでの和田を見てきた人たちにとって、和田がこう語るのは必然のように思えただろう。
和田彩花がグループを去ることの寂しさはあるものの、これからの和田が魅せるものへの期待が膨らむ公演であった。

スポーツ紙によると、先日の武道館公演終わりで記者のインタビューに答えた際、「明日からは一時ステージを離れて、大学院の2年ですから、修論(修士論文)を書くのに専念します」と答えたそうだ。

武道館公演の終わりに「修論書かなきゃ」なんて答えた出演者、今までいただろうか。これを「格好いい」と言わずして何と言おう。

2019年1月に放送された「Girls Live」という番組で、占い師に占ってもらったところ、「和田さんは自我の塊」と称されて、和田は「はい、そうです。それが知られてることが恥ずかしい」と苦笑いをしていた。それに対して、カントリー・ガールズ山木梨沙が「和田さんは生まれた頃から和田さんなんですね」とツッコミをいれていた。
和田彩花は生まれたときから和田彩花
その和田彩花がその存在と内面を世間に伝えるために、言葉と美術と表現力という武器を持つ過程を我々は見てきたともいえるのかもしれない。
まさに「エドゥアール・マネについて1時間語れる」という特技は、のちに「強くて自立した大人の女性アイドル」像へと結実したのだ。

このブログの最初の記事で、朝井リョウの「武道館」というアイドル小説について、「恋愛禁止ルールだけがアイドルを縛り付けているのではないと思う。その向う側がみたい」と書いた。和田がリリースイベントのMCで「結婚だけが女性の幸せではないので、撮影でウェディングドレス着るのが嫌だった」と述べて、少し話題になった。
「恋愛できないからアイドルは縛られている」という安易なアイドル否定論へのカウンターとして、「恋愛解禁」などと語られるが、アイドルを縛り付けているものの本質はそんなところにはないだろう。恋愛や結婚に興味がない女性も当然いるように、興味がないアイドルも当然いるだろう(もちろんこれはアイドルがそれらに興味を持ってはいけない、ということを意味しない)。

その向こう側を見せてくれるのは、もしかしたら和田彩花なのかもしれない。

共働き同棲カップルの我が家に保護猫がやってくるまで

今月から我が家に猫がきました!

この子はペットショップから来た子ではなく、
譲渡会を通して保護猫ボランティアさんのおうちからやってきた、
いわゆる「保護猫」出身という扱いになります。

近年、インターネットでは猫人気が高く、「猫を飼いたい」という人も増えているかと思います。
また、徐々に「保護猫」の認知もあがっているようです。
その一方で、保護猫を巡ってはあれやこれやのよくない噂が流れています。
あと、保護猫を迎え入れたくても、条件や先方との折り合いが合わず途中で諦めた、という人も数多くいるようです。

「今はペットを飼える環境にないけど、これから猫を飼いたい」
「出来れば保護猫を迎え入れたい」
「保護猫も検討しているが、条件が不安」

という方に参考になればと、我が家に猫が来るまでの一連の流れを残しておきたいと思います。

第一関門:ペット可物件を見つける

みなさんはペット可物件に住んでいますか?

実家に住んでいる人を除けば、かなりの人は否と答えるのではないでしょうか。

大手賃貸サイトで「ペット応相談」にチェックを入れると一気に数が減少します。
不動産屋でも「ペット可」の希望を伝えると、担当者が悩みだし一気に紹介される物件が減ります。

自分たちの場合、双方の通勤の事情からあまり郊外に住むわけにもいかず(前の記事参照)、
かといって予算が潤沢にあるわけでもなく、その他条件も含めるとかなり厳しい状況。
正直、自分も諦めかけてたんですが、同居人の強い意志で条件に合うペット可物件を探すことになりました。

とはいえ、最初から物件はかなり絞られることが予想出来たので、自分たちの場合は最初から「ペット可物件」を主に扱っている不動産業者さんに紹介をお願いしました。
住みたい駅もありましたが、条件厳しくなるとそうも言ってられないので、通勤できそうな範囲を広域で伝えその中から探して頂きました。

様々な地域の物件を紹介され、東京区部を横断する距離を丸一日かけて内見に付き合っていただき、ようやく今の墨田区の物件に決めました。それまで聞いたこともないよう縁もゆかりもない駅でしたが、駅から徒歩一分というのが決め手でした。
猫のことだけ考えるともっといい物件はあったかもしれないですけど、人間の条件をクロスチェックしているとかなり絞られてくるなー、という印象でした。

不動産広告に「ペット応相談」と書いてあっても、無条件にペットを飼えるわけでもなく、ペットの条件は物件ごとに違います。あくまでも「ペット応相談」です。
一番受け入れられやすいペットは小型犬で、猫はあまり歓迎はされません。理由は壁をひっかっくから。
あと、頭数への制限も多いです。今の物件も、犬または猫1匹までという制限です。

今のところそんな予定はありませんが、多頭飼いを検討するとなれば更に厳しい条件との戦い(あるいは人間の妥協)が待っているだろうなー、という印象でした。*1

そういったペットの条件について先方に確認したりするノウハウなど、ペット可専門の業者さんはかなり頼りになりました。なにより担当者がペット好きで、親身になってくれたのも好印象でした。
正直、今の賃貸不動産業界はデータベースを共有化しているので、地元の不動産屋に拘る理由も少なくなりましたし、どうしてもペット可物件を探したいという方はペット可専門の不動産業者はおすすめです。

第二関門:猫の譲渡会にびびる

さて、ペット可物件に引っ越しましたが、当たり前ですがそれだけでは猫は来ません。
人間の引っ越しが落ち着いたころ、猫の検討を始めました。

猫の貰い方には大きく分けて以下の五つがあるかと思います。

・近所で拾ってくる
・知人・友人から貰い受ける
・ペットショップで買う
・ブリーダーから買う
・保護猫等を貰い受ける

このうち上3つが日本の三大「猫の入手ルート」らしいです。みんなそんなに子供が拾ってきた、とか友人からもらった、みたいな感じで飼い始めたりするものなのか!わりとびっくり。

閑話休題、上二つはさすがに運頼みすぎなので、現実的には下三つが検討対象でした。
ちなみに、「猫を飼いたいんです」って職場とか周りに言ってると、子猫の里親探ししている人を紹介されることもわりとあるらしいので、公言するのは大事なようです。

自分としてはそこまでペットショップに否定的ではなかったのですが、品種にそこまで強い拘りもなく(猫はだいたいみんなかわいい)、同居人が保護猫を貰い受けることを主張したこともあり、保護猫を迎え入れる方針に決めました。

保護猫コミュニティの単身男性への冷淡さなどのネットの噂は聞いていましたが、まあ彼女と一緒に住んでいるし条件に関しては何とかなるだろー、と最初は思っていました。家族形態としては実質新婚カップルと変わらないわけだし、女性中心のコミュニティであればパートナーシップの多様性とかに理解あるだろー、と。

で、いざ地元の某保護猫ボランティアのNPOのサイトを見てみると……

・単身不可
・同棲カップル不可
・60歳以上の高齢者不可
・6歳以下の子供のいる家庭不可
・6時間以上のお留守番家庭不可

いや、無理でしょ!!!!全世帯のうち専業主婦がいるの5%ってこの間統計出てたやん!!!?
考えられるボリューム層としては、50代ぐらいで子供に手がかからなくなったパートタイム(3時間)主婦がいる家庭とか?
というか、同性パートナーシップ条例への配慮とかないの??東京の団体でしょ??

もちろん、そりゃー同棲カップルがうっきうきの気分のまま猫飼いたい!みたいな浮かれた軽い気持ちで飼うのを防ぎたい、という気持ちはわからんでもないですけどね。
でも、うちの場合は話し合って今のところ法律婚はしない、という合意をしているし、ペット可物件に住むためにそれなりに安くもない出費もしてるし、浮かれているところがゼロではないだろうけど、なんだかなぁってみたいな感じで結構心折れそうでした。
条件に心折れるというよりも、この手の条件を掲げてい違和感をもたない人と話すのに神経削られそうだなー、と。

保健所(動物愛護センター)から直接迎え入れるという手段もあるのですが、なにせお役所ゆえに引き取りの前提となる講習会等は平日が多く、仕事抱えている社会人にはなかなか厳しいものがあります。

とはいえ、保護猫を迎える強い意志を持っていた同居人が(本当に同居人さまさまです)、「同棲カップル不可」を掲げていない団体や個人ボランティアをピックアップしてくれ、譲渡会に出かけることにしました。
いざ探してみると同棲カップルOKをわざわざ掲げてはないですが、同棲カップル不可としてない団体や個人もそれなりにあります。そうした団体さんが行っている譲渡会に行ってみることに。

最初に行ったのは埼玉の小さな譲渡団体さん。動物病院の端っこを間借りして譲渡会を行っていました。
いくつか簡単な注意事項を言われ、実際猫たちと対面。

みんなめっちゃかわいいいいいいいいい

猫は人よりも場所につく、なんて言われ、初めての会場だとびびってしまう猫が大半な感じです。
とはいえ、人馴れ?新しい場所慣れ?している猫もいて、何匹か抱っこさせて頂いたりしました。
現場のボランティアさんがとても親切に対応してくださり、好感をもちました。逆に言えば、ここで好感を持たなかったら、保護猫を迎え入れるのを諦めてたと思います。

現場でボランティアされている方とお話をした際、同棲不可の懸念を伝えたところ、「実はうちも籍を入れてないよねー」とおっしゃってたのもなかなか心強かったです。人間集まれば当たり前ですけど、色んな人いますもんね。
結局、その場では決められなかったのですが、大変参考になり、わが家が保護猫を迎え入れることに肯定的になったのもこの団体さんのおかげです。

実際、その後も何件か譲渡会に参加した感想をまとめると以下のような感じでした。

・ボランティアさんのメイン層は40代、50代の女性
・ゆえにインターネットが苦手の人が多いようで、ネットの更新は得意な人に任せっきりになっていることが多いよう(HP見てたときになんとなくの違和感の理由が解消した)
・里親希望の人も同じく40、50代ぐらいの夫婦が多い
・かわいい猫は(当たり前だけど)、早めに里親が決まる
・でも、みんなかわいい。けど、譲渡会場では怯えている子が多い(仕方ない)
・譲渡団体も(本音でいえば)、今いる猫の里親を探して、新しい子を保護したいので、こちらが怪しくなければ早く譲りたい感はひしひしと伝わる
・里親に求める条件見て、二人で「だめだねー」って話していると、「本気でその子が好きなら説得しますから諦めないでください」と言われ、結局は印象と熱意なんだなー、と(就活か)

第3関門:猫を決める

今どきの飼い猫は10年どころか20年も生きる猫もいるそうです。猫も高齢化社会なんですね。
うちの子も長く生きてくれればなー、と思いますが、それはさておき、10年、20年付き合う子を決めるんですから、そう簡単には決められません。

結構、これが関門です。

ペットショップならば、ある程度品種が決まっていてターゲットを絞りやすいですが、出ている猫がほぼ雑種の保護猫業界だと、決める要素としては「見た目」「若さ」「性格」(人懐っこさとか)といったところでしょうか。
なんか人間社会の就活とか婚活とか諸々思い出して、嫌になる要素ですが、10年20年一緒にいる、かつ選べる状況だとどうしても欲が出てきます。

飼う方の人間が複数いると猫の見た目の好みをすり合わせるのも大変ですし(猫の見た目の好みなんて話し合ったことないし)、そもそも猫なんてだいたいみんなかわいいので「98点」「96点」ぐらいの差しかなくてめっちゃ悩むんですよね。

わが家では同居人の希望が「明るい色の子がいい」とのことだったので、白色や茶色の明るい子を探すことに。

そして、ネットの里親募集サイトで見つけたのがこの子でした。

このブルーアイがきれいな子は個人のボランティアさんの家で保護されており、特に同棲不可の条件もなく、他の申込みが(見たところ)なかったことから、保護主さんにコンタクトをとることに。

最初にコンタクトをした際には、色々こちらの事情をヒアリングされ(質問は常識的な範囲でした)お伝えすると「(まだ当時は4、5ヶ月の子猫だったため)、お留守番時間が長すぎる」ということで、一旦話が流れかけました。
どうしても、昼間に双方フルタイムで働いていると8時間以上はお留守番時間が発生してしまうため、こればかりは譲れません。

とはいえ未練があったので、「もう少し大人になっても、里親が決まっていなかったらご連絡ください」とお伝えしてました。

その後、猫が六ヶ月になったあたりで保護主さんからお声かけいただき、千葉の保護主さんのところに見に行くことに。

猫と保護主さんとお会いし、お留守番ができることを確認し、譲渡をお願いしました。

その後、二週間で猫を迎えるための準備をしたうえで、保護主さんがわが家に連れてきてくださりわが家の一員になりました。

その際、誓約書を書きましたが、約束事としては去勢手術程度。ネットの色々な噂で言われていた、源泉徴収票だのマンションの契約書や住民票などは特に提出を求められず、全面的に信頼していただきました。
その後も、健康状態など適宜相談させていただいており大変感謝しています。

そんなこんなで我が家の一員となって、今日も一緒にいます。

猫がくるまでも来てからもいろいろありましたが、結局は折れない心と熱意だなぁ、と同居人に感謝してます。

同居人が猫が来てからの奮闘をブログとツイッターに書いてくれているので、興味ある方はこちらもご覧ください。

はじめての保護猫里親生活~えんじゅとの毎日~ | 保護猫【えんじゅ】との生活を記しています。猫飼育初心者ですが、がんばります。
えんじゅ (@aenje_0419) | Twitter

みなさんも良き猫ライフを!

*1:しかし、ネットでみてはいたけど猫を飼いはじめると多頭飼いしたくなるって本当ですね

共働きの時代と郊外――自分の経験から

引越し先を決めるのが大変だった話

彼女と一緒に住む話をすすめていたときに思った話。

自分の勤め先の本部は茨城県つくば市にある。
今は東京事務所の方の配属になっているものの、当然、将来的には再度つくば勤務になる可能性は高い。
勤務先の機関は、数十年前の筑波学園研究都市建設に際して真っ先に移転した。

対して、彼女の勤め先は田園都市線沿い。数年前に山手線沿いから移転したらしい。

さて、インターネットの同棲のうんたらみたいなサイトを見ると、
だいたい「両者の勤務地から中間地点を選ぶと良いでしょう」みたいなことを書いてある。
まあ、もっともだ。

さて、勤務先がお互い郊外の両者。
東京の地理に詳しい方はすでにこの時点でおわかりだろう。
つくばは東京の北東にあり(当然アクセス路線は東京から北東に伸びるつくばエクスプレスになる)、
田園都市線は東京の南西に伸びる路線である。

東京を挟んで真向かいなのである。

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もちろん、両者のことを考えれば東京の真ん中あたりに住むのが一番いいのだと思う。
しかし、山手線の中のタワマンを借りるほどのお金はない。
かといって、安さを求めてどちらかの郊外に寄ってしまうと、片方の通勤はめちゃめちゃ大変になってしまう。

というところで、まず場所が決められない、というところで行き詰まってしまった。

結局、北千住からつくばエクスプレスにアクセスしやすく、
半蔵門線田園都市線に直通する東武スカイツリー沿線という最初は思ってもみなかったところに決まった。

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直通とはいえ、彼女は約1時間通勤になってしまいやや不満げだったが、
家賃の予算、間取り、綺麗、猫が飼える(!)という条件を満たす物件になると他になかった。

その他多少のトラブルはあったものの、
そんなこんなで、猫はまだいないけど、とりあえず新生活を始める事ができた。

郊外勤務の思わぬ罠

近年というより随分前から東京一極集中が批判されている。
その一方で、大学キャンパスやマンションを中心に都心回帰の動きが進んでいるとも言われる。

今までも、自分の勤務先が郊外にあることの不平不満はあったけれども、
全体的には生活費安くなるし通勤ラッシュに巻き込まれないことはメリットだと思っていた。

もし、都心勤務の人と一緒に住むことになっても、都心と郊外の中間地点あたりに住めばいいかなーと、薄々思っていた。

だけれども、さすがに東京の反対側に勤務している人と一緒に住むことになるとは思わなかった。
これは郊外勤務の思わぬ罠だった。

かつて、高度経済成長期やバブル期に会社や機関の郊外移転の旗振りをした人は、
専業主婦モデルの家族を想定していたのだと思う。それで、理想的な職住近接都市を目指したのだろう。

しかし、言うまでもなく時代は共働き。
両者の通勤の条件が揃った郊外の住居というのは、専業主婦モデルの家庭よりも一層難しい。

ましてや、勤務地がお互い郊外だと更に難しくなる。
うまく武蔵野線南武線あたりでお互い通勤できたらいいだろうが、東京の環状鉄道は少ないのでうまくいかないケースが多いだろう。*1
実際、自分のつくばの同僚も旦那さんの勤務地が所沢だか川越だかで、住む場所にかなり苦労していた。
職場が郊外にあれば、職住近接モデルの都市が出来るという絵に描いた餅は今の時代通用しないだろうな、ということが自分の経験から身に沁みてわかってきた。

こういう働き方の変化の結果として、郊外の衰退と都心回帰という流れは当然だろう。
行政は地方創生を掲げて、地方移転を掲げている。実際、KADOKAWAは所沢に移転するそうだ。

だけれども、面積が必要な産業を除けば、現代の働き方に合わない郊外移転する企業はますます避けられていくのかな、という気はする。
結果として、職も住も都心に回帰していく動きが強まるだろう。

ベッドタウンから抜け出せず、職住近接都市の夢も潰えたその先、郊外はゆっくりと衰退していくしかないんだろうか。それはそれで寂しい気もする。

*1:メトロセブンエイトライナーは本当に出来る日が来るんだろうか。

首都大学東京を改名する公約を掲げた都知事候補をまとめたよ

お知らせ :: ニュース :: 首都大学東京の名称に関する東京都知事発言について | 首都大学東京

我が母校、首都大学東京が「首都大学東京の名称に関する東京都知事発言について」なる不思議なリリースをだした。

都知事の談話を受けてのリリースなのは分かるけれども、わざわざ大学のプレスリリースで再送信するのは、
在学生の不安を和らげるとともに、この機に乗じて「東京都立大学」に大学名を戻したい、という大学の意志の現れであろう。

実際、首都大学東京より東京都立大学の方が何倍も分かりやすいし、OBとしても賛成である。
英語名はどちらもTokyo Metropolitan Universityなので、対外的にも問題ない。

困るのは、自分みたいな首都大学東京の間に卒業して、履歴書に「首都大学東京」しか書けなくて、
もともと知名度が低い上に、改名によってますます「首都大学東京」という名前の知名度が下がり、
2、30年後には履歴書に書いてもまっっったくどこの大学か分からなくなる狭間な世代だけであろう。
それに関しては、みなさんの薄い母校愛で我慢していただくしかない。

首都大学東京東京都立大学の地味な割に複雑な関係については、以前書いた記事を参照してほしい。

kei-ex.hatenablog.com

首都大学東京の改名を言い出した都知事候補たち

実は首都大学東京の改名を言い出した都知事候補は、小池都知事だけではない。
石原慎太郎が学校名や銀行名をおもちゃにすることを思いついてしまったので、
雨後の筍のごとく「首都大学東京」の改名を公約にした都知事候補がいた。

大学をおもちゃにしていることは石原元都知事と大差ないのだけれども、
本人たちはいたって真面目な公約たちを見ていきたい。

2003年 石原慎太郎

頽廃しつくした日本の教育の再建のために都立高校を大改造していますが、合わせて教育革命の表象として都立の大学を一括統合し、まったく新しい大学を作り出します。

すべてはここから始まりました。この「まったく新しい大学」というフレーズから謎の新大学・首都大学東京を生み出したわけです。教育革命の表象だったんだ!レプレゼント!
石原慎太郎の都立高校改革の重点化政策は比較的支持されていたかと思いますが、それと何の関係があったのだろうか。

2007年 黒川紀章

首都大学東京を、国際東京大学と改名する。四都市連合による都市経済の活性化を計るため四都市の大学(北京大学、国際東京大学、同済大学、大阪大学)の提携を促進し、
各大学に四都市の大学のサテライトキャンパスをつくる。
②この四都市大学連携は国際的なレベルでのアントレナーシップ(起業家精神)を生み出し、国際的な産学共同プロジェクトが実施できる教育・研究基盤となる。
③国際東京大学での講義の段を英語とし、世界の優秀な学生を集める。又、教職員の給与を改善する。

首都大が誕生したのが2005年なので、首都大学東京の改名を掲げた候補者としては初めてではないだろうか。

国際東京大学というネーミングの残念さはともかく、海外の大学のサテライトキャンパスとか産学協同プロジェクトとか英語授業とか今文科省が国立大学に押し付けている改革とそっくりでびっくりする。その結果は、今の国立大学の惨状を見て欲しい。
ただ、行政改革と言う名のコストカットが大流行だったこの時代にしては、教職員給与の改善を掲げているところは評価できる。

ご存知の通り、黒川紀章はその後すぐなくなるので、これらは当然のように実現せずに終わった。せっかくなら一棟ぐらい作ってほしかったところだ。カプセルタワーの寮とか。

2014年 田母神俊雄

世界に誇れる美徳を持った知力・体力・人間力を持つ、
強く、たくましく、心優しい子供達と教師を育て、全ての東
京都民が、「ふるさと」東京都日本に、誇りを持てる教育
政策を実施。「まったく新しい大学」を実現する。世界の
一流大学の世界最高の知性を集め、インターネット上
で、世界の学生が世界最高の講義を受けられるインター
ネット国際大学首都大学東京に増設する。

出た、「まったく新しい大学」!!!!この頃、石原さんと田母神さんは「たちあがれ日本」あたりで同じだったような記憶があるのですが、真の「まったく新しい大学」の実現を頼まれたんでしょうか。
結局、何が「まったく新しい大学」なのか誰も示せてないですけどね。ネット配信で講義を受けられるなんて、世界的には当たり前になりつつありますし、サイバー大学も2007年に出来てます。だいたい、地上波で大学の講義受けられるし。

ちなみに、首都大開学にあたっては従来の寄宿舎とは別に、石原慎太郎の肝いりで旧制高校の寮をモチーフに「人間形成」を目的としたという「桜都寮」なるものが新設された。
最初の頃は産経新聞の元編集長が寮長をやっていて、八木秀次とか呼んで講演させていた(らしい)。どうせ旧制高校をモチーフとするなら八木秀次百地章よりもカントとか読んでて欲しいところである。

今はどうなったのかというと、今の寮からはほとんどそういう「人間教育」的な要素はなくなったそうだ。
時代的にも学生への経済的支援の方が重視されるべきことだし、喜ばしいことだろう。そもそも、その地域のエリート校である地方国立大学と違い、レベルの高い私立大学が多くある首都圏でわざわざ公立大学を選ぶ学生は、低所得者層も少なくない。

当然、田母神俊雄は落選し、特に実現することなく終わった。石原慎太郎の影響力はこのあたりで潰えた、といったところだろうか。

2016年 マック赤坂

①スマイル教育. 東京都の学校にスマイルと挨拶を採用し朝礼にスマイルダンスを取り入れる. 首都大学東京を東京スマイル大学に改めスマイル学部を創設する.

首都大学東京改革案の中でやっぱり最高峰は我らがマック赤坂でしょう。

東京スマイル大学!!!国際東京大学首都大学東京が霞んでみえる独創的なネーミング。スマイル学部哲学科はベルクソン『笑い』あたりを読まされるんでしょうか。スマイル学部経済学科は笑いを行動経済学的な要素で検証してて欲しいし、スマイル学部生物学科は神経と笑いの関係を研究してて欲しい。あれ、意外と学際研究として面白そうでは?と思わなくもないですが、実際はベルクソンじゃなくてマック赤坂の書いた謎の本とか読まされるんだろうから、ネタとしてはともかく実現したらたまったものじゃないですね。

結果は言うまでもありません。スマイル!

2017年 都民ファーストの会

首都大学東京の名称を再検討し、都民に身近な大学. へ改革

これだけは都知事選の選挙戦での公約ではなく、都民ファーストの会都議会議員選挙の公約です。

正直、何言ってるかわかんないですね。本当は都民ファースト大学東京あたりにしたかったんでしょうか。
でも、結局この何言ってるかよくわかんない公約のおかげで、東京都立大学に戻りそうなのででめたしでめたし、といったところでしょうか。

ちなみに、首都大学東京は半分ぐらいが地方出身者の一人暮らしで、残り半分の通学生のマジョリティは横浜線で通学できる神奈川県民です。都民の皆さんの税金のおかげで学ばせて頂いています。感謝。